いや、ビビった。
全然知らない電話番号からの電話。
留守電にメッセージが残っている。深い年配の女性の声がした。
○○(師匠の名)の家内です。
お世話になっております。突然のお電話すみません。
お手数をおかけしますが、折り返しお電話をいただけないでしょうか。
その瞬間に、師匠に何かあったのだろうと理解して道場で電話を聴いてた私は絶句して崩れ落ちた。
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電話を折り返そうとする間も、こんなことになるなら、もっと習っておくべきだったとか、7月は月末だったわとか、一般稽古を門人にやらせてあげたかったとか、いろいろな思いが去来して手が震えた。
何よりも、あの方には師匠と稽古してほしかった。一度も手をとらないままというのは、なんと勿体ないことだろう。師匠の一番弟子の人と師匠は全然違う。水と油くらい違う。師匠の技を受けることで、もっと進める。
数度目かのコールで、奥様が出た。
上ずった私の声に、落ち着いて「お世話になっております。電話代のことがありますので、こちらからかけなおしましょうか?」などと、ずいぶんと気遣ってくれる。(ただ、その気遣いは、固定電話のときのもので懐かしく思う)。ああ、この人はずいぶん社会で働いてきた人なのだろう。もの言いが「奥様」ではない。
その心使いを制止して、私は耳を澄ませた。
実は、稽古場が使えなくなりました。
稽古場? 先生のご自宅のはずですが?
そうなんです。あの場所から立ち退くように言われてしまっておりまして、7月からは新しいところでの稽古となります。
あ、ちょっと代ります。
(隣で師匠の声がしていた)。
あ、先生、お元気でしたかと私が聞くまでもなく、師匠はいつもの声だった。
「いやあー、参ったよー。いきなりねー出ていけといわれてもねー。先生は元気?」
師匠は私のことを「先生」と呼ぶ。やめてくれとお願いしたが、一向に曲げないので放置している。
もちろんです。と答えて「電話があって、先生にもしものことがあったのかと、寿命が縮みました」というと、大笑いしておられた。
新しい場所は、駅の反対側だった。
当然固定電話も使えないのだろう。奥さんの携帯からの連絡となっていた。
私はガクガクしている足をさすりながら、(本当に訃報だと思ったので、足が震えていた)、先生との再会を約束して電話を置いた。
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今回のことでよくわかったが、師匠はいつ死んでもおかしくない。
今回の電話が訃報であっても、変じゃないのだ。
たまたまそれが違った。
たまたま生き延びてくれていた。
あと何回稽古できるだろうか。
しかし、師匠から何をどのように盗めばいいのか。
別次元の人がいるという認識で終わっている現状を恥ずかしく思う。
あの方なら、何か特別なものをつかむかもしれない。
「気」が分かったとおっしゃるあの方なら。
連絡するすべはない。
それでも、届けと思いながら書いている。