今日は良い日!

UNARRANGEMENT 2025/07/31(木) 22:54
相変わらずかっこ良かった!
まさかまさか、あんなに話ができるとは!! いつまでも話していたかったな(^^♪

というか、私汗臭くて、湿布してたから湿布臭くて、髪の毛もボウボウで、すみません。

また、いつか!
No.629 PERMALINK

師匠が亡くなった

大東流 2025/07/14(月) 21:59
まだ公式発表はないが、N師範がなくなった。
大東流最高総師範である。
私も10年弱を毎月のように通っていた。
去年の11月、見解の相違もあって、そこから行っていない。

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師範が死んだことも、連絡が私にはなかったことも、そこそこショックなんだろうなと思うが、まったくそうでもない。
絡まった糸の大本の人物が亡くなったことで、なんとなくホッとしてしまった。先生ごめんな。

教えるときも、「〇〇は教えたらダメ」「お金は〇〇円以上取りなさい」等々、いろいろな指示があって、窮屈だったのは事実。
実際には、「先生ダメって言ってるけど、ちょっとこれ言っておくね」と門人には伝えていたがw お金も先生が言うほどの金額を取ることはできないので、先生には「努力します」とだけ伝えてあった。

もうお目にかかれないのは残念だけど、技に関しては、たぶんあと10年通ったところでわからないままだろうと思う。
実際、他の師範と稽古しても「!」と驚くことばかりだった。(基本技が全くできていない)。
そういう人に教えて伝わると思っていたのなら、N先生には教える才能がない。伝わらないと思いつつ教えていたなら、結構な詐欺師だ。
私は両方だと思っているw 先生ごめんね。

これで、K先生は大手を振って後継者を名乗るのだろうなということだけが、胸糞悪いが。
東京のM村先生が後継者だと何度も言っているが、公式には発表していないし、M村先生も本業があるしでこのままN先生の名前は忘れられていくのだろう。
伝えてくれるということではK先生には感謝だが、K先生の技はN先生の技ではない。
(それが原因で、私はこっぴどく叱られたのだから)。

何も変わらない。
明日からも同じ。稽古に励む日々である。

ただ、ふっと思う。
N先生がいなければ、この大東流もなかったな。
出会うこともなかったな。
きっと私は、空手を辞めるかどうかの年齢の壁でもがいていただろうな。
合気道は続けられなかったなw
弓道にも出会わなかっただろう。

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弓の最初の師匠、T先生も亡くなった。
お目にかかったことはないが、無外流居合兵道の小西先生も亡くなった。(現在の無外流の総師範)。
だんだんなくなっていくのを見送る。
いずれ自分も行く道。
何のためでもなく、ただその日まで稽古を積む。
No.628 PERMALINK

合格しました

2025/07/03(木) 08:07
弓道をはじめて9年と8カ月。
錬士の称号をいただきました。

受審者306人(欠席者含む)。
合格者10人。

当県からはもう一人、女性が合格。
彼女は歴は長いですよ。5段合格が平成の終盤ですから。
昨晩は祝福メールに埋もれました。
何よりうれしかったのは、いつも指導してくださる(月一で通っている)M先生がとても喜んでくれたことだ。

「私が死ぬのと、あなたが錬士になるのとどちらが早いかねー」と言っていたので、「良かった良かった!」と電話の向こうで泣きだしそうに喜んで下さった。
M先生は多発性骨髄腫、抗がん剤の副作用があって、大変である。89歳。

しかし、この報告をできなかった人がいる。
私の弓の最初の師匠であるT教士。初心者教室で出会って、私が空手で股関節が悪いのを聞くと頭をひねって「弓も体力使うよ? 大丈夫?」と心配してくれたものだ。
78歳で、今年の5月永眠された。もう数年会ってなかった。私の五段合格を誰よりも喜んでくれた人だ。
五段の審査の帰りに、小さい瓶に入ったミカンのお酒をお土産に買ったのだった。それが、お目にかかった最後となった。
とっても喜んでくれた。思い出すと、今でも胸があったかくなる。

もう一つ。
私が弓を始めた理由は、大東流を追い出された(!)からである。
あのとき、絶望の中にいた私が死なずに済んだのは、弓道となぎなたを始めたおかげである。
(もちろん、居合も杖も空手も続けてはいたが)。
全くの初心者、右も左もわからない、そういう世界で懸命に生きてきた。
大東流も場所は違うが細々再開できた。

あの絶望の日々から、10年近く経った。
 
年月は心を癒すのだなあと思う。
絶望したことは覚えているが、今は絶望してはいない。
ただ、必死に日々を生き抜こうという決意があるだけだ。
稽古は続く。
終わりの日まで。
No.627 PERMALINK