ですねw (^o^)

まあ、名前を出している種目がこれだけという理由もありますが。
(他の武術はぼかして書いてますが、さすがに弓は専門用語が多くてぼかせない(^^ゞ)

一番稽古量が多いという理由もあります。

メイン武術の稽古の倍くらいはやってるかなあ。
一人でできるのが良い。
いつ行ってもいいのが良い。
すぐ帰っても良いのが良い。

とまあ、こんな感じで気づいたら、毎日稽古しているという感じ。
道場が家の前ですしねw(メイン武術の道場は家から10キロくらいだしなあ)。

毎日、今日のことを書いておこうと思っては「あ、また弓道か-」と思ってやめるの繰り返しでした。
授業がなく、あのヒトのことをなるべく書かず、子どもたちも皆元気となると、書けることは稽古のことだけ。
それもメインは師匠に「他人には言うな」といわれていることもたくさんあり、中身については書けない。

その中で、試合やら審査やらがある種目は書きやすいわけです。

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とまあ、さんざんっぱら言い訳してから、書くわけですw

今日の試合結果は、全て半矢でした。
ホームページに載るような順位ではありませんが、一応入賞です。
何より嬉しいのは、12月に近寄せという順位決定戦で的を大きく逸れて、入賞を逃したときの悔しい気持ちがあったので、「絶対に外さない」という強い気持ちで臨みました。
結果は、ほぼ的の真ん中でした。近寄せでは一位。他に的に中てた人は私より遠かったので。
というわけで、ちょっとだけ雪辱を果たしたのです。(本当に雪辱を果たすには、優勝しかありません)。
入賞で満足しているわけではないですが、去年の今ごろは的中ゼロだったことを考えるとまあまあ進歩。
というか、「進歩が見える」という一点において、とてもとても感謝です。
メインは「進歩が見えにくい」ので、本当に苦しい。小さい小さい進歩に気づいて続けるしかないのですが。

今日の名言。
師匠曰く「弘法は筆を選ぶんだよ!!」

私たちが、え? と顔を見ると「わかるかい? 道具はとても大事なんですよ。ちゃんと選ぶんです。悪い道具はあなたを殺しますよ」と誰かの弓をちょっとだけ引いてみせた。

そうか~。そういうことか。
ここが、徒手空拳で挑む武術との違いではある。
そして、師匠は高い道具が良い道具だとは決して言わない。
高い道具は良い物も多いけど、良い道具に育てるんですよーと言う。
大事に扱う、正しい形を知っていて徐々に矯正をする・・・といった日常の細やかなお手入れが良い道具を作るのだと言う。
ああ、人間と一緒だよねえ。日常の細々した些細な手間を惜しんでいてはろくなことにならない。

メイン武術では私たちに道具はないが、身体というものを「道具」として見直せばやっぱりお手入れが大事だと思う。
・・・と思うのだが、ついつい正月気分で甘い物を食べ過ぎて気持ち悪くなっているのであった。
反省しきり。あのヒトに再会したときに「老けたねえ」って言われないように頑張ろう!!!

まだまだずっと先の約束のために今日も頑張る。
きっとまだまだずっと先の死ぬ日のために、今日も明日も頑張る。
死ぬときに「よく頑張った! 満足!」と死にたい。




はじめて参加。
まあ、こういうときは、だいたいダメなんである。
参加することに意義があるので、気にしない。

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礼射 一手      ○ ×
競射 4つ矢 一手  × × 失 ○

(-_- )
仕方ないですね。
礼射の乙矢は、「お、これが中ったら、賞品がもらえる!」なーんて欲が出た。すると、それほど的から外れることのなかった矢が後ろへ。
あーあ。中ててやろう・・・は一番ダメだなあ。

競射では、前日「下」ばかりに行くのを「上」に修正してたのが裏目に出た。ミッキーマウスの耳のように、甲矢も乙矢も的の上。
ショックー!(この心の動きが既にマズイ)。
そう思って、今度こそはと思ったら、矢を落とした(筈こぼれ)。最悪・・・。
最後の一本は、総決算だ! と気合いを入れてたので、的中となったが・・・。
全体としては、情けない結果にションボリであった。

ところが、門人たちはそれぞれ「三位」と「余興で優勝」という素晴らしい結果に。
よかったー。めでたい。
自分はまだまだだけど、方向は正しいと思う。
ただ続けて行くだけだと思う。

色々とボロボロw
なんせ、6日も休んだんですから。
今回の休みは道具の手入れに徹して、木剣を振ったりしてません。
山には登りました。
それだけです。

で、糖質制限が聞いて呆れる。
たくさん糖質を摂取したので、増量+スタミナなく・・・(>o<)。
午前のメイン、午後の弓、どちらも芳しくない感じ。

まあ、スタートラインが低いほうが、伸びしろが大きい・・・はず。

がんばりますよ!
ニコニコ機嫌よく、がんばります。
今年もよろしく。
昼過ぎ、12時半ころ。
私は車の掃除をしていた。実家に帰省する予定だったので、常に乗せている備品を車から降ろしていたのだ。
(キックミットや、寝袋なんかは軽くて場所をを取るので、車に常時乗せている)。

それをごそごそと戻して、通常装備に。

あ、しろ子さんのお墓の水を替えようと思って家に入った瞬間、娘が「おかーさん、電話」。

古い10年物の携帯を開けると師匠!?

電話に出て、新年の挨拶をする。
ずいぶんとご無沙汰しているような気がするが、まだ11月から二ヶ月経ってないんだな。
師匠は何の用事もなかったようだ。
めざしを肴に飲んでいるとw
先生飲み過ぎは注意ですよ。
などと、緊張しつつ、電話を終える。

私はあの夢以来、師匠との電話は死ぬほど緊張する。

師匠の声は明るくて、無邪気だった。
元気そうだった。
良かった。
なんとも嬉しくて、稽古でお会いできるのが楽しみになった。

私は師匠を信じたい。
信じている。
師匠が信じた、自分を信じたい。
私はできるはずだ。
私はつかめるはずだ。

稽古始めは、4日。待ち遠しい。
自分がないことと、自分を捨てることは別のことだ。
そもそも自分がないと言うヒトは、自分を捨てることもできないわけで(^^ゞ

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もう6年ばかり通っているある教室。(武術ではない)。
身体操作の教室だが、忙しいことと、習ってもよくわからないということで、少しずつ足が遠のいていた。
それでも、必ずお茶のお稽古にだけは欠かさず通っている。

先月は、先生と二人きりだったので、お互い楽だった。
「あなたのお腹をみてあげるわ」と先生に触れられて居ずまいを正して座っていると、その先生は「はー」と息を吐いて、「そうねえ。あなたは必要ないわね。もうしっかりしてるわ」とちょっと残念そうだった。
他の稽古人たちは、こういう肚腰ではないらしい。なんとも嘆かわしいことだと、聞き流した。

今月は、新人も含めて稽古する人が三人。
嫌な予感がした。

「少し基本の稽古もしましょうか」という先生は、新人さんを手本に呼んだ。
私は古参の稽古人と組んで同じことをやるが、彼女はまともに私を動かせない。
腕だけを使って押してくるという、単純なミス。
私はいつものように、何も言わずただ、座っている。

「もう、だめねえ。代わるわ」
と先生は、私の前に座った。
今までは、先生の技の前に、私は動かされることが多かった。動かなくても、「筋肉」で支えたなと考えることも多く、そういうときには動かないまでも先生の技量を尊敬していた。

しかし、そのときは違った。
先生の中に「新人さんに良いところをみせたい」という欲を感じてしまったので、普段は絶対に使わないつもりの「氣」で相手を抑えてしまった。
私はびくともしない。私が動かないことがわかると、先生が焦るのがわかった。
「あなたは筋力で対抗しようとするからダメよ」・・・ああ、どこかで聞いた台詞。
筋力ではありませんと、抗弁しそうになって、口を噤む。
「はい。すみません」

私の素直な言いように少し気を取り直したか、先生は「あなたには身体操作の稽古は無理かもしれないわね。お茶だけに来たら?」と、今さらなことを口にした。

そうです。そのとおりです。
だから、私はこの一年、お茶にしか来てませんよ。
身体操作では、理合いが違うところではありますが、技を磨いて来ましたから。

その先生は達人だが、限界が近い。
門人のSさんともその話になることが多い。
Sさんは、年齢だと思っているが、違う。

先生は、先生の先生に全てを託している。
先生は、自分が「ない」。
自分の先生が黒と言えば、白いモノでも黒になる。
そういう修行から出られなかった。

私は、先生が黒と言って納得がいかなければ、納得のいくまで食い下がる。
私のような態度は、よろしくないと嫌う人もいる。特に初心者のときは、厳に慎みたい態度であることは、私も百も承知。
しかし、何年も稽古している人間が、黒を白だと言われて「そういうところがあの先生のすごいところなのよ」ではわけがわかるまい。
もちろん、先生の先生といえども人間だから、やり方や理屈、理合いが変わることもあるはずだ。
しかし、それをわざとやっているように見える。
従順な子羊、貢ぎ物を持ってくる熱心な信者だけ残れば良いと。

対等な稽古人を育てず、カリスマとまつられているのは楽ちんだろう。

最近は、その本部の稽古でも、「病気を治すためにやっているわけではない!」と明言している。
先代はすごかった。
息子には会ってないから、知らない。
けれど、私だったら、私の先生のように鵜呑みにはしない。

私の先生は、並外れた感覚と、能力と技の持ち主だっただけに、今の状態が残炎でならない。
先生ご自身も、気づいていない。
先生ご自身は、習ってきたことの整合性のなさに振り回されて、苦しんでおられるというのに、それを認めない。
その苦しさと、年齢が重なったとき。
それから、門人を育てられなかったことに気づくとき。

先生の「氣」はどこかに消えてしまったように見える。

残念です。
私は先生を応援しているのです。
でも、先生にとっては、身体操作の稽古に来てもらっては困る邪魔者になってしまった。

一つの稽古の終わりを感じた。
お茶の稽古には行くけど。
いや、稽古じゃなくて、お茶とお菓子を頂きに毎月参ります。
寂しい時間が過ぎていった。
2018/12/28は、記憶に残る良い一日だった。
二つのお稽古の「稽古納め」。

午前。
メイン武術。
2人の参加で、私も入れて3人で稽古する。
下手くそな私に、真摯に付き合って下さる門人たち。感謝してもしきれない。
極寒の雪の中、極寒の道場で、大笑いをしながら真剣に稽古。
本当にありがたいことである。

午後。
弓。
14時を回っていたので、既に多くが帰宅されていた。
数人。お兄さん先生と、師匠と、N先生と、門人Sさん。
師匠とN先生は仲良く、2人の世界で稽古w
お兄さん先生とSさんと最後まで残って、稽古しました。
師匠はN先生を指導する合間に、私にも注意をしてくれたので、年末の課題はもう一つ増えました。

最後の最後に4射3中まで的中が上がり、安定して「これだ!」と思ったところで時間終了。
N先生と、「休みたくないよねえ」と6日間の稽古休みを呪いましたw

心地よい疲れに、寒さも感じませんでした。

今年の稽古は全て終わり。
ありがたい。
感謝しかありません。

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ららさん、60歳ではじめて、70歳までに錬士六段まで行ったヒトを知ってるよ。
めざしなさい!

師匠に言われて、苦笑する。
いや、先生、私まだ50ちょいです。と言い返そうとしたら、お兄さん先生が「オレは68歳ではじめたから錬士は無理かな。でも五段は欲しいな」と。
そうでした。今年、とうとうお兄さん先生の段位に追いつきました。
「一緒にがんばりましょうよ!」と言うと、うんうんとニコニコしてくれました。

仲間がいるのは、本当にありがたいことです。
一年ありがとう。