私は実験をしている。
申し訳ないことであるが、意図してではなく、行きがかり上そうなっただけである。

それは、居合の稽古。

肘を痛めてから、週に一度の稽古だけにとどめている。
もっと稽古したいし、週に一度の稽古は、「普段の自主練の結果を先生に評価してもらう」ためのものだ。
そう思っていたが、どうも右肘がよろしくない。
特に、去年秋の大会から、気をつけて使わないと時々ピリッと痛みが走る。
昨日も、立ち技で逆袈裟で切り上げたとき、余計な動きで、右肘に痛みが起こった。
一瞬だが、看過できない。

なので、自分での稽古はしない。
それでも、右腕はどうしても使う(弓でも)なので、気をつけねばならないが。

一週間に一時間の稽古で何が変わるだろう。
私としては、そんないい加減なことなら、辞めてしまえば良いとすら思える。
しかし。
楽しみでやるならば。
いつか、肘が楽になれば、稽古できるし。
などと、自分に言い訳をして、週に一度を通う。

先生に申し訳ない。

一週間に一時間の稽古で何かつかめるか。
それが、実験。

稽古を続けていて何よりもツライことは何だろう。
稽古が好きでやっている・・・と思っていたのだが。

[お稽古楽しい?」

正面切って聞いたのは、70代の大先輩の女性。
ずいぶん昔に四段を取って、たまに五段を受けに行く。
まだ五段ではない。

「た、楽しい・・・ですか?」

オウム返しに聞き返して、私は考え込む。

「苦しいです。」

そう答えると、その先輩は、大笑いした。
そうよね。そうだよね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一番辛いことは何だろう。
一番苦しいことは何だろう。

それは、割と簡単に答がでる。

上達がわからないこと。
コレに尽きる。
去年のほうが的中があった。
去年のほうが相手を動かせた。
そういうとき、惨めで情けなくて悲しくなる。

特に弓は、的中という恐ろしい客観的な数字が出る。
私は初心のころは結構中てていたので、今、中らないのが歯がゆい。
射の中身は、きっと(たぶん、おそらく)変わっているはずだが、それでも中らないことがツライ。

「苦しいですよ」と答えながら、自分の未熟を噛みしめていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ビデオで録画した自分の射を見ながら落ち込む。

こりゃ駄目だ。
頭を抱える私に、会長が言う。

「そりゃ、まだまだだけど、最初よりは上達している」

最初というのは、4月。
そうですか? そうですか??
私は振り向きながら、先生に頭を下げる。

少し救われた稽古になった。

何よりもツライのは、上達がわからないこと。
一ミリでもいい。少しずつでも上達していけますように。
古参のSさんと稽古する。
基本技と、他の技の違いを簡単に説明をする。

基本技では動かせないこともある。
例えばね。
手首を相手の返そうとする方角にねじって力を込めて突っ張って持つ。
こういう風に持たれると、基本技ではかからないの。

彼女は私の持ち方を真似て、少し腕をねじって持つ。
基本技では、そちらに力をかけられているときにはどうしてもぶつかる。
これをね。

そう言いながら、基本技ではない技をかけると、あっけなく彼女は倒れる。

・・・

倒れながら爆笑。

あはははは。

・・・どうしたん?

技がかかって笑う人は多いが、もうSさんくらいの古参になると、まず笑わない。
というか、かなり力をかけて持ってもらったので、彼女自体大変苦しい持ち方をさせたはずだ。
起き上がろうしてながら、尚も腹を抱える彼女を見て、私がポカンとしていると、彼女は言葉を絞り出した。

あはは。
この持ち方。見たことがある。
というか、コレ! コレですよ。
目を輝かせて言う。

以前の我々の指導者、彼がららさんに技を掛けられまいとして、必死で持つとき、こういう落ち方だったのです。
まさにコレなんです。
どういう持ち方なのかわからなかったんです。
ただ、「負けまい」とする強固な意志だけを感じていましたが、身体は物理的にこういう風になっていたのですね。

納得という形で、もう一度私の腕を捉える。

私の動くであろう方向とは逆に力を込めて身体を乗せる。
私は苦笑いしながら、「いえいえ。あのときの指導者が動かせなかったのは、私の未熟ですよ」と打ち消しながら、彼女を動かす。

あっはははは。

Sさんは笑いながら倒れる。

基本技しか教えてもらってないのだから、動かせなくて当然なんですよね。
基本技の稽古のときに、こういう持ち方をするなんて、あの指導者はわかってないです!

そう付け加えた。

私は、「そりゃそうですよ。私もわかりませんでしたから」苦笑しかない。
指導者を責めるのは、酷というものだろう。
無意識でやっていたことなのだろうから。

私はぼんやりと、三年前のことを思い出す。

「ウチの人は、やさしい人なのよ」
私があまりに和を乱し、指導者を悩ませることに対し、妻なる人に叱責された。

道場で[ウチの人」はないだろうと、苦笑いした私に、「あなたにはわからないかもしれないけど」と付け加えたのだ。

知ってます。
心の中でそう応えて、私は黙った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あのときの稽古が、まだ私の中にある。
あのときの苦しい稽古。
あのときの情けない稽古。
あのときの惨めな稽古。

でも、最高に充実して、うれしかった稽古。
亡霊のように、私の中にある。

久々の空手。今、空手は、月に1,2回。
それでも、行けば動けるし、楽しい。
5歳くらいの子どもから、大人まで。
今は、女性の初心者さんが熱心に来てくれるので、その相手をする。

「先生が来られると、めっちゃ、引き締まります」とその女性は言ってくれる。

毎週2回の稽古をこなす彼女は、子どもさんが長いこと、別流派のフルコンにいたので、目は確かだ。
勢いも良い。

初心者としては、大変良くできるなあと思って見ていた。

何が違うのだろうか。
私と彼女の違いは何?
もしかして、同じ? 

違うよなア・・・。思わずにやけてしまう。
向き合うと、彼女の緊張した固まった身体感覚と狭くなった視野と、「次、何をすればいいんだろう」とめまぐるしく頭の中を動かしている様子に、にやけてしまう。
初心者の時は、私もこうだったのだろうなあ。
彼女の動きは速く、力強いけど、私にはスローモーションに見える。
どこに打ち込んでくるか、丸わかりだからだ。
もう少し慣れたら、きっともっと上手くなるだろうなあと思う。

ただ、空手の人の動きの、無駄な感じはまあ仕方ないか。
身体を振って、バランスを取ることの無駄を思う。

勉強になった空手。
また、来週も、顔を出すかな。(^o^)
応援ありがとうございました。
すみません・・・。
残念でした。

さすが、会長。死亡フラグとなりましたw

四段は7人受験したのですが、全員「元」。(不合格。元の段位で)。
なんと、一人も一本も中てることができませんでした・・・。
雨は降らなかったものの、ものすごく暑くて、湿気があって。
私は前日右手の親指をクマバチに刺されてしまい、腫れ上がった状態でしたが、それを理由にはしません。

色々とアドバイスをいただき、次回こそは胸を張って合格できるような射をします。
次は8月。もっと暑いじゃん!? (+o+)

★個人的には、今まで、外したことがなかったので大丈夫と思っていたのですが、色々流れがあって、今回は無理だなあと思っていました。
なので、負け惜しみでもなんでもなく、納得の不合格であります。
また、初めての道場で持ち的射礼定めの座ありでやるのは、難しいと痛感しました。
思えば、弐段の不合格のときも、審査前講習を受けられなくて、初めての会場だったんですね。
次回も、行ったことのない道場ですが、がんばって審査前講習を受けてからの受験としたいと思います。
一応、この人たちは「師範」。
そう思いながら、釈然としない思いを抱く。
これでは稽古内容のレベルはともかく、それ以前の話として私は苛つく。
どこ見てんの? 武術だよ。
そう言いたくなるのを、こらえて稽古する。

唯一、K師範だけは他武道で鍛えただけある。
絶対に組んで稽古している私から目をそらさない。

この人と稽古すると、稽古しているという感じがする。

他の人は、「自分」の中に入って「自分」の中に正解を探している。
どうすれば相手が動くかを「自分」の中に探す。
私は? ここに私はいるのだよ? そう呼びかけたくなるのをこらえる。
思わず、そのまま蹴りを入れたいという衝動を慌てて抑える。

師匠は「教えた」という。
教えられてできるような代物ではないことは重々理解している。
しかし、この人たちは理解しているのだろうか? 
疑念を抱く。
もしかしたら、できるはずだと思っていない?

私が動かないのを苦々しく感じているのを嫌でも感じる。
舌打ちする人さえいる。

なんだ、この稽古は?
師匠の提示する世界はおそろしく広く深い。
表面をなぞって、できた気になっている人が多すぎる。

稽古相手が欲しいと思う。
真剣に向き合う相手が欲しい。
K師範とばかり組んでるわけにいかないし。

・・・・・・・・・・・・・・
自分ができてるかどうかもよくわからないままだった。
本気で持てと言われて、本気で持つ。
誰も私を動かすことはできない。
これはどういうことなのだ?

イライラとしつつ、師匠の笑顔だけに救われる。
大丈夫。
次は11月。