私は運がいい。
運動神経は人並み以下だが、それでも、「続けることに意味がある」と武道をやってきた。
少し弓道で天狗になりそうなのを、隣県のM先生にしっかり教えてもらって鼻を折られるようにしているが、そのM先生も「上達したわねえ」と言ってくれる。
それはうれしいが、私にとっては危険信号である。
何もかにもうまくいくというのは、ヤバイ。
・・・・・・・・・

そういう理由もあって、なぎなたを辞めないでいる。

たぶん、昔の私だったら、ブチ切れて辞めていただろうと思う。
「あなたね、身体の使い方が全然なってない。基本ができてない。弓道だって、碌なもんじゃないと思うわよ」とか、大切なM先生のことも「M先生はわかってない」と貶す。
M先生に関してだけは、私はそうは思わないし、今そのことは関係ないのでそういう言い方は辞めてくれとは言った。
私が身体の使い方がなっていない、基本もわかっていないのはある意味本当のことだろうなとは思う。
だからこそ、稽古を続けているし、そこまで落ち込むことはないが、やはり否定され続けるのは、気が滅入る。

広島で3段の審査だった。
受けたくないというのを、同じ道場から3人受けるのでということで仕方なく一緒に受けた。
受けることが目的ではなく、受けるために努力することが目的である。
だから合否はどうでもいいのだが、見事に三人とも落ちた。
(ちなみに三段は、弓道なら錬士五段と同じ。指導段位ということになる。)

学科は100点満点中97点。
実技がやはりダメだった。

ずっとがみがみがみがみ否定され続けて、のびのびとなぎなたを振れるはずもないなあと、ちょっと冷静になってわかる。
なんなら、なぎなたを触るのが苦痛だ。
稽古に行きたくない。
また、怒られるなあと思いながら、自分自身を叱咤激励してなんとか土曜の稽古に向かった。(今日。先週は休んだ)。

先生は調子が悪いらしく、ガラガラ声で「今日はしんどいので帰る」と言いながら、私たちに「あなた方は基本がまるでできてない。引き立て稽古も待ったわかってない」と散財Nって帰っていった。

三段落第組の三人で、今日は教室を運営したのである。
先生がいないと少し楽に呼吸ができるし、少しうまくなったような気がするねw

もう少し頑張るかなあと思う。
どこでも「先生」と言われて、どこでも指導段位になったしまった今、なぎなたは別の意味で貴重である。
叱られるのが必要なのである。
しんどくなったら、少し距離をとればいい。

いつでも逃げられる。

自分自身に「まだまだ」と言い聞かせ続けるためにもなぎなたは重要である。
と言いつつ、あまりにしんどかったら、逃げるけどね。
まあ、ぼちぼち。
次の稽古はだいぶ先。
No.647 PERMALINK