手仕事をしながら、無料の動画を流していた。
ガンダムの放送が始まったのが1979年。
私は中学生だったかな。

すべての放送を録音(当時は、テープレコーダーをテレビの前に置いて録音したもんだ)して、すべてをシナリオと覚えているところは絵コンテに書き起こしていた。
そのくらい、必死に見ていた。
まあ、オタクのハシリだったのだろう。

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ガンダムユニコーンはその17年後の話。
ガンダムオリジンは、その前の話。
ガンダムという作品は、最初の作品(ファーストガンダムと後には呼ばれることになる)の力で、前後の歴史を緻密に積み上げていくことで、この40年続いている。
(もちろん、歴史とは違うパラレルワールドっぽいモノも量産されているがw 特に最近は難解さから子どもたちの人気がイマイチだったのを反省して、簡単な面白いもの(?)を作ろうと制作側が躍起である)。

ぼんやりと見ながら、人物相関の難しさとか、敵味方という簡単なくくりではないところとか、そういうのを突きつけられて、ああ、ファーストと同じだと思いながらもざっとストーリを追う。

日本のアニメがずっと追求してきたことは、勧善懲悪とは真逆の世界である。
善や悪があるわけではなく、それぞれの正義がある。
それぞれの正義が両立しないときに、力で決着をつけようというのが、戦争だと。
だから、戦争には正義も悪もないのだという哲学が必ずある。
特に、ロボットアニメでは、侵略してくる敵(宇宙人)の都合や敵の思いを丁寧に描くことから始まり、ガンダムではついに、「地球人どうし」という戦争を描くことになった。
思惑が対立してること、利害が対立すること、対立に至る歴史を描くことになる。
地球人どうしだが、悪いやつも、ズルいやつもいる。
ただ、そいつらにも正義はあるし、理屈もある。

そういうのが戦争だと。

ハリウッド映画の『エイリアン』の不気味な訳のわからない敵とは違う。
話せばわかる・・・かもしれない「敵」。
(もちろん、1996年のエヴァンゲリオン以降は、「正体不明の不気味な敵」というオプションもあるが)。

戦争はいけないと、小学校の先生たちは簡単に言う。
小学生のとき、私はなぜその小学生にもわかる事実を大人がわからなかったのだろうと不思議に思った。
中学生になって、そんな簡単なことではないと、思った。
簡単に「戦争はいけない」と言えば、戦争は終わるのか。絶対に終わらないだろう?
そういう中で出会ったのが、ファーストガンダムだった。

複雑な敵の事情(同じ地球人だもの)。
ユダヤ人のシオニズムという言葉に掛けて造語された「ジオニズム」。
戦争がなくなるための「地球連邦」だったはずが、なぜ、戦争に突入するか。

もちろん、911以前と以後では世界は変わってしまった。
それでも、911前に、あそこまでテロや戦争について娯楽作品の中で取り組んできたのはすごい。
(まあ、これらは、娯楽作品という枠すらも破壊しているかもしれない。特にユニコーンは私にとっては娯楽ではなかった。難しすぎる)。

戦争はなくならないのか。
何が問題なのか。

それを突き詰めたら、あんな難解な話になるんだろうか。
結局、ニュータイプという話にまとめるしかないのだが。

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個人的には、初恋のシャア・アズナブルがアクシズ・ショックのあとも生き残っていてくれて嬉しかった。
けど、あれから17年立っているのだから、中年だよなあ・・・。
安彦良和さん、もう少しシャアを老けさせてくださいな。
それから、シャアの長髪、フッサフサの髪の毛はあまり好きでない。
戦闘で生きる人間が、あんなフワフワの髪にする意味を感じない。
邪魔だろ? なんて思うんだよなあ…。私の好きなシャアは、Ζガンダムのクワトロ・バジーナ大尉かもしれんなー。
(シャアにはたくさん偽名があるので。もともとは、キャスバル・レム・ダイクン、エドワウ・マス、シャア・アズナブル、クワトロ・バジーナ、そして、フル・フロンタル。)
クワトロさんは、顔も隠してないし、偉そうじゃないし、他人に甘えてくれるし。
シャアは、人の上に立つ仕事はできない男なんだよなあ。きっと本当は。誰かの片腕としてなら凄い有能に幸せに人生を送れたんじゃないかと思う。

ユニコーンガンダムで、本当にシャアは死んだんで、もうガンダムシリーズの中では未来には出てこない。
好きだったなあ。シャア。
不完全で、傷を負って、シニカルで、プライドが高いくせにさびしい人だったシャア。
コックピットで死んでしまったのは、アクシズ・ショックのときと同じだけど、今度は死体があるからね。
ダメ押しして、「死んでます!」って見せちゃったから、製作者側も、もうシャアは登場させないぞという決意なんだろう。
声優の池田秀一さんだって、何十年もシャアをやり続けるわけにもいかんだろうし。
(というか、池田さんの声がシャアの性格を作り上げたと言っても過言ではない。)

もう、ガンダム評論を世に出そうとは思っていない。
20年前のときは、作品集の解説やらなんやらを頼まれていたが。

ただ、ざっくり見直していえるのは、日本人は日本人なりに戦争の総括をしようとしているのだなということである。
現実には、第二次世界大戦後の平和な日本で、これだけ何度も何度も戦争をテーマにしたものが積み上がっている事実。
本当の戦争と、フィクションの戦争は、油と水程も違うだろうが、それでも、戦争をテーマにせずにおれなかった。
その思考は、私は無駄ではないと思う。
きっと、今の総理大臣は、ガンダムを見ていない。
ガンダムを見た世代が総理になるころ、日本は変われるかもしれないなどと。

寝言だね。(笑)


p.s.先程、ツラツラとwikiを見ていたら、フル・フロンタルは、シャア本人ではなくシャアのクローン(?)みたいな感じだよと説明があった。わー、難しい。
けれど、それなら、若くても仕方ないか。とういか、やっぱアクシズ・ショックで生き残るはずないよなあ・・・。さよなら、シャア。
ざっとユニコーンを見ただけでは、フルフロンタルは、シャアだと思えたけどね。まあ、仕方ない。ちゃんと見てないものw
2018/03/05(月) 09:08 マンガ PERMALINK COM(0)
毎回泣かされてしまう「夏目友人帳」。
でも、この前は、名取さんの昔の話だったりして泣かなかった。

夏目友人帳のテーマは、世界の違うモノ同士の交流と別離だ。
人の世界と、妖(あやかし)の世界。

その間で、束の間のドラマが紡がれる。

いつも、いつも、伸ばす手は届かない。

私はその悲しみに、己を重ねてしまう。
住む世界が違うのだ。
そう言い聞かせて、それでも、消せぬ想いに身を焦がす。

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叶わぬ夢などない。
しかし、私は夢など見ない。
私の夢はただ、己の生を精一杯生きること。
正直に生きること。

それだけが夢で、そう生きてきた。

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第9話「険しきをゆく」

シイタケのようなチビあやかしが、野犬に食われそうになったところを助けられる。
助けたのは仙人の中でもリーダー格のあやかしであった。

仙人は、チビを「友よ」と呼び、楽しいひと時を過ごす。

チビはずっと仙人と居るものだと思っていたが、ある日、仙人に「修行の途中であるので、去らねばならぬ」と言われ置いて行かれる。
チビは連れて行ってくれと懇願するが、一瞬に仙人は空へ舞い上がり、チビは置いていかれる。

そのチビは、主人公の夏目に助けられて、仙人が通るという野原で仙人を待つ。

仙人たちの列は神々しく、輝き、普通の者が声をかければ不敬罪となる・・・。
チビは懇願する。連れて行ってくれと。自分も修行の列に加えてくれと。

弟子の仙人たちは、「供物もなく、何も兆しのないものには、許されぬ!」と一刀両断。
リーダー格の仙人がチビに声をかける。「厳しい修行ゆえ、連れていくことはできぬ」と言い渡す。
チビは、夏目の前で大泣きする。

世界が違うのだ。
世界が違う。

私は、救いのない結末に声を上げて泣いた。

「お前は連れていくことは出来ぬ」そう言われたのは、私だ。
一生懸命修行します! そう言って泣いてすがったのは、私だ。
あのチビは、私だ。

そう思うと、もう涙が止まらなくなった。

いくら思っても、いくら願っても叶わぬことはあるのだよ。
認めたくない事実。

画面の中のチビも泣いていた。

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夏目が慰めようとするが、そのチビの前に、仙人の弟子が降り立つ。

「先ほどは、ただの冷やかしかと思ったが、本当にそう思うなら、修行するがよい。
 その本の中身すべてを我らは修行して、あの列に参加したのだ」

チビにポンと渡された分厚い本。
無理かと思われる分量と、難解さ。
チビは、「修行します!」と仙人の弟子を見送る。

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え!?

いつもと違うラストに、私は戸惑う。
いつもいつも、救いはない。
いつも透明な悲しみをたたえたまま、物語は終わる。
決して交わることのない世界。たまさかその世界を超えてしまった者たちは、焦がれて焦がれて泣くのだ。
それで終わりのはずだった。

最後にチビに渡された「救い」。
分厚い本は、私には「救い」に見えた。
修行の途中で命終わるかもしれない。
本のすべてを修行しても、列に加わることは難しいかもしれない。

それでも!!



私に救いはあるのだろうか。

たぶん、ない。
そう思うと、悲しくて悲しくて泣いた。
嗚咽が漏れた。

チビ、良かったね。
お前がうらやましいよ。

(´;ω;`)ウッ…


2016/12/08(木) 20:19 マンガ PERMALINK COM(0)
時々読む。
新刊が出たら、Kindle(電子書籍端末)に落として読む。
大人の(もしくは、老人の)恋愛とか、性とかについて、考えるために。

大人、もしくは、老人というのは、私自身のことである。

私自身が、手本のない恋愛の(いや、恋愛という軽佻浮薄な言葉で片付けてほしくないが)中にいるために、つい読んでしまう。
そうだよなあ。若者の恋愛にはマニュアルがあり、手本があり、筋道があり、ゴールがある。

私たちの年代で、恋愛など。

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でも、人間だもの。
いくつでも恋をする。
恋をしない人もいるだろう。
私もそもそもは、恋をしない冷徹な人間だった。
性行為はしたが、それは恋などではないなと、どこかでずっと醒めていた。

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よくもまあ、51冊も描いてきたよなあ・・・。弘兼先生はすごいな。

でも、今回のは、すべてハッピーエンドだった・・・。
というか、すべて、二人で暮らすようになる。
いわゆる、結婚という結末。

はあ・・・。

こんなに都合よくいくかよと、苛立ちもする。

冒頭の40歳ストリッパーの女性と、66歳童貞数学者の恋も、なんと、子どもができてハッピーエンドである。
(しかし、40歳独身女性が、どうして避妊をしないのか、謎である。いや、それ以前に病気予防の観点からコンドームを使ってほしいものだ)。
良いなあと思うし、素敵とも思うが、ストリップを職業にしてきた人間と数学に人生を捧げてきた人間が、「性」以外でつながれるものだろうか。
もちろん、「性」では繋がる。それが発端であり、それが描写される。
価値観も違うだろう。生活ビジョンも違うだろう。そういう二人が一緒に暮らして大丈夫なのか。
もちろん、もう一波乱も二波乱もあるだろうが。

私は、自分に関心のない分野というのが少なからずあって、その人たちとは一緒に住みたくはない。
いくらイケメンで、身体の相性が良くても・・・だ。
セフレくらいには、してやってもいい。(超上から目線w)

二つ目の物語も、結婚で終わり。
男が、50歳になるまで、小学生時代の同級生の女の子を想って独身だったなんて、都合が良すぎる。
そんな奴いるんだろうか。私には、その男性の人生が全く想像もつかない。
旦那に愛人がいて、自分が恋人ができたタイミングで「別れましょう」なんて。

私は、恋愛対象ではないとしても、一緒に住む人には誠意を示してほしい。

そうでなければ、一緒にいる意味がないのに、マンガの中では、自分に関心のない夫にため息をつく妻の、愛情のかけらもない日常が描かれる。
お金を持ってきてくれるから、一緒にいるんでしょ? そういう妻に、私は殺意さえ抱く。
そして、恋に落ちる女が全員(私は妻ですらないが)、そういう妻なのではない。

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私はうちのオトコにたぶん、「愛着」がある。
数年前から、炊事は彼の仕事になった。
みそ汁やスープ類、サラダなど、オトコが作らない料理は私がやる。
オトコは私が料理をしても、しなくても文句を言わなくなった。

15年間、完全にすべての家事を引き受けて、すべての支出を引き受けていたが、ある日、「こんなに辛いなら、一緒にいる意味がない。出ていけ。出て行かぬなら私が出ていく」と詰め寄った。
(オトコは、お金は一銭も家に入れず、そして、横のものを縦にもしない人だった。全ての家事労働と賃金労働が私の役割だった。)

それで反省したのか、どうだかは知らない。
けれど、オトコは炊事は引き受けると言った。
そして、不完全ながらも、その習慣は続いている。

私はやっと、普通の掃除などの他の家事に精を出すことができているわけだ。(それまでは部屋中ぐちゃぐちゃだった)。
そして、生きるための道場通いにも、文句を言わななくなった。
私の当然の権利であるからして、文句を言われる筋合いはないのだが、以前は「お前だけ遊んで!!」とめちゃくちゃに私を責めた。
朝稽古に行こうとする私を引き留めて、ねちねちと文句を言い、泣きながら朝稽古に向かったことも一回や二回ではない。

壊れかけた私が、「仕事というのは、お金を持って帰ることだ。あなたは一銭も家に入れてない。私の道場通いに文句をつけるなら、仕事をしてお金を持ってこい」と怒鳴ると、彼は黙った。

言いたくなかった。
貧乏を承知で一緒になったはずだ。
しかし、お金だけでなく、家事や育児のすべての負担が私にかかってくるのをもう耐えることができなかった。
私は、出ていくつもりだった。
今だって、オトコはお金を持ってくることは、皆無だ。でも、負担は少し軽くなった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、私は恋をしている。
私の恋には、手本も、マニュアルもない。
もちろん、ゴールもない。

黄昏流星群のように、セックスレスですら、ない。

それでも、私の恋は真実。
何も後ろめたくはない。

矛盾していると、他人は思うだろう。
贅沢だと、責めるだろう。
でも、私はこの真実がタカラモノで、「性」とか「恋」とかを超えたところで、あのヒトが特別なことを知ってる。
あのヒトは、私にとって特別。
もしも、前世というものがあるのならば、私はあのヒトに、たくさん感謝してあのヒトを愛して大切にしないといけないカルマがあるのだ。

だから、あのヒトが妻なる人と幸せに生きることが、私の願い。
(本当に妻なる人は、賢夫人であって理想の妻である)。
だから、私のこの想いのゴールは、黄昏流星群とは違うのだ。

逢えれば、嬉しい。
逢いたい。
触れたい。

そして、あのヒトの後姿を見送るのが、私の人生。
良いのだ。

もしかしたら、酸っぱいブドウかもしれないけど。
万が一、あのヒトから「一緒に暮らしましょう」なんて言われたら、すぐに飛びつくかもしれないのだけど。
今は、いいのだ。これでいいのだ。




2016/05/27(金) 19:42 マンガ PERMALINK COM(0)