K先生のことはとても好きである。
そして、台湾で修行されたという宗家も尊敬している。(もう亡くなったが)。
次世代が育っていない。
そもそも、太極拳(うちは太極拳法だから、ちょっと違うが)というものは、お年寄りのものだったりするわけで、次世代と言ってもまあ高齢者だなということはある。
しかし、だ。
24式とは違い、どんどん覚えるべき套路があって、器械もどんどん使う。(玉、扇、根、剣)出費もある。
だから、そもそも高齢者が入ってきにくいのかもしれない。
24式のほうが気楽であろう。
見学者は何人かいるが、誰も入会まで至らない。
というか、3年前入った私が一番歴が浅い。
聞いてみると、やはり他の稽古場も同じことのようで、主力が50代だったのが、そのまま20年経って、70代になったという。
そして、新しいことが覚えられないというので、やめていく人が多いらしい。
K先生の人柄もあってか、県下は相当の人数がおられるようだが、それも高齢化して風前の灯。
何より、人が育っていない。
まず、私が前回辞めた原因となったK師。前向きには妊娠を原因として辞めたが、本当は続けたかったのだ。しかし、初段を終えて、担当がK師に変わった途端行くのが苦痛になった。
K師のほうは、私のことなど全く覚えてないのだが。「あなたみたいにキャラ濃かったら、覚えてるはずなんだけどねー」とケラケラ笑う。
K先生のほうは、しっかり覚えてくれていたのが幸いであるが。
20年ぶりに会ったK先生は、相変わらず素敵で、優しくて素晴らしい。
しかし、20年ぶりに会ったK師も相変わらず、いや、私より5歳ほど年上の彼女はあちこち(腰やら膝)を悪くしていて、マトモに立ち座りができない。よろける。
なんだこれは。
太極拳法、それも体に良いというものを20年教えていてこれか?
もちろん、交通事故なども原因として考えられるから、一概に問題とは言えないが、それにしても恐ろしくお粗末な套路を披露である。
そういう人が指導をする。なんの手本になるか。
太極拳法を長くしていると、体を壊しますよーと喧伝しているようなものだ。
私は、K先生がK師のような助手しかいないのをとても残念に思っていたのである。
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で、今日少々もめた。
具体的なテクニックの話は割愛するが、私にK師が「惜しい、惜しいね。〇〇ができてないよ」という。
私は〇〇したら、重心移動ができませんと言い返して一悶着。
それを見ていたK先生が近寄ってきて「どうしたの?」と聞いてくれた。
私が事情を説明すると、K先生は「そりゃそうね。〇〇じゃないですよ」と言う。
K師は目を丸くして、「いや、そもそも、ずっとそれで教えてたじゃないですか! どうして変わったなら変わって言わないんですか!」と大騒ぎ。
K先生は「〇〇したら、動きがガクガクになるでしょ? K師さんもそうなってないってことは、あなたも〇〇やってないですよ」。
K師は「K先生はそうやれって言っていました! 言ってたじゃないですか!」
うわああああ。
だんだん20数年前の記憶がよみがえる。
同じところで、私、質問したんだった。
なるべくね。なるべくやってね。たしかにそうK先生は言ったけど、どう考えてもどうしても〇〇では動けないので、「動けません」と抗弁した私に、K先生は「そう? それならいいわよ」とかなんとか言って終わったんだった。
いや、あの、揉めないでくださいと、思わず出た言葉にK先生が真顔で答える。
「いいえ。これは揉めてるんじゃないの。お互いに、話し合ってきちんとしないとね」と笑顔で言う。
K師のほうは鬼の首でも取ったように「言ったじゃないですか。どうして変わってるんですか」と目を三角にする。
K先生が「きちんと伝えておらず、大変申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げた。
私たちは息をのんだよ。
そんなこと、師匠にさせてどうするよ?
K師のほうは「ほんとにもー、ちゃんとしてくださいよ」みたいな風に収まったが、何これ?
K先生は終始笑顔だった。
K師は最後までぶつくさぶつくさ言っていた。
なんだこれ。
どうしてK先生は、K師を大事にしているんだろう。
事情があるんだろうか。
普通だったら、口で言わなくても見て取りなさいってならないのだろうか。
というか、納得せず20年以上動いていたというのがもう信じられないのだが。
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つまりは、育っていない。
門人も指導者も育っていない。
現宗家も、ヤワヤワのお嬢さんが年取ったような人物だった。器ではない。
これが、競技人口の差だろうか。
マイナーでも本物をやりたいと思って再開したが、未来は暗澹たるものだ。
K先生が引退したら、私の太極拳法人生も終わりだなあ。
あと何年?
まあ、先のことは考えるだけ無駄。
ただ、ちょっと覚悟はしておこう。