編集者からメールで10月発売予定とのこと。
ホントに出るのか。
というのも、原稿はまだ手元にあるw
まあ、最後通牒ってこったな。


ハッ(゚д゚)まさか。
エイプリルフールとか、そういうのじゃあるまいな。



がんばります。
2018/04/01(日) 22:51 身体論 PERMALINK COM(0)
完治! である。
昨日までは、階段で足首の前側が痛むような感じ。
なるべく動かさないように、上手に階段を上っていく。

今日は、階段での違和感はない。
足首を回すと、少しひっかかるが、それだけ。
ようやく治った! かな??

踵の傷はもう十二分に癒えて、どこに傷があったかすらもわからない。

足首の痛みがある間は、弓も今一つだったなあ・・・。
なので、今日はまあまあ。
良し。体調万全でがんばるぞー。
2017/05/24(水) 21:57 身体論 PERMALINK COM(0)
朝日新聞のニュース

宝蔵院流槍術。
宮本武蔵の本にも出てくるよね。
超超有名な槍術の流派。

そこは女人禁制で有名なところでもあった。

何気にホームページを見てたら、今年の4月から女性にも門戸を開くとある。460年間の男子のみの伝統がなくなるんである。
たしかに、時代錯誤ではある。
女子の武道として一般普及したなぎなたでさえ、男子歓迎のご時世。
数少ない男子選手も、がんばっている。

単純に、嬉しく思う。
もう少し若かったら、見に行ったかもしれない。(奈良、大阪、名古屋のみ)
まあ、もう関係ないことではあるが。

単純に嬉しく思いつつ、そういう古流の稽古場でどの程度古流が守られているのかがとても気になる。
まあ、他流のことだ。
問題は自流のほうであって。

宝蔵院流槍術の初の女性の稽古生がどんな方かわからないが、心よりエールを送る。
がんばれ!
私もがんばる!
2017/05/21(日) 23:34 身体論 PERMALINK COM(0)
帰宅して、娘が散らかしたであろう部屋を手探りで歩き灯りを探す。

何か落ちているのはわかる。
大きいものは避けて。

あ。

ゆっくり踏んだ踵に何かが刺さった。
というか、踵の骨がギリッと嫌な音を立てた。骨が削れたような感覚、にしては痛みが少ない。
慌てて明かりをつけて足を見ると、そこには押しピン(それも、布をディスプレイなどでとめるようなでっかいやつ)。

う。

俄かに痛くなってきたのと同時に、ほぼ無意識に、そのピンを引き抜く。
ジワリと血液が出るが、傷は深く、とにかく化膿防止のために血液を出さねばと思う。
血液を絞りだしながら、ほとんど出ないなあと踵を眺めて、さっきの骨を削った音はなんだろうというか、本当に骨まで行ったんだろうかと訝しむ。
骨だったら、痛いよね。
今は痛いけど、踏んだときの感覚は違う。
ギリッ、ザリッみたいな。

うーん。(゜_゜)
まあ、様子見ですな。

その日はそのまま寝た。
次の日歩くと、じんわりと痛い。痛いのは別に悪くはない。
熱を持っていないので、痛みがあっても感染はしてないだろうと勝手に決めて普通に一日を過ごす。

次の日の昼から、あれ? 足首が変だということに気づいた。
負傷した右足首が、うまくバランスが取れずグラグラする。
一時的なものかと思い、気にせずにいたが、今日は道場(裸足)である。
サポーターを探すが、ない。
そのまま出る。

出血は、すぐに止まった。
圧迫すると踵骨が若干痛い。
そんなの、稽古の邪魔にすらならない。

ただし、足首が問題で、変なアラインメントではないはずが、妙にグラグラとして痛む。
そう。足首痛い!

足裏は、様々な反射区があるという。
(リフレクソロジーなどはそれを応用しているのだ)。
踵のこの部分は、足首に反射区があるのか!? 近いな・・・?
いや、よくわからないけど。
よくわからないから、書き残すけど。
型稽古の時は大丈夫だったけど、自由攻防の時の足首が痛かった。
しばらく様子見だ。

安静時にも違和感があって、気持ち悪い。
踵のほうはすっかり無痛。(圧迫すると若干痛い)

さて、治るかな? 
2017/05/21(日) 05:26 身体論 PERMALINK COM(0)
テレビの番組で、「盲ろう」の子どもの教育についてやっていた。
「盲ろう」といえば、ヘレンケラーが浮かぶが、彼女の場合は先天性ではない。
言葉を覚え始めたころ、病気によって「盲ろう」となるのである。
であるからして、彼女は言語の基礎を持っていたと考えられる。

完全に生まれたときから、眼も見えない、耳も聞こえない子どもたち。
そういう子どもたちに、どのような教育をすればよいのか。

ビデオに映った子どもたちは、残された感覚である触覚でなんとか世界とつながろうとしているように見えた。
もちろん、言葉や概念といったこととは遠くにいる。
それを世界というのはこんなだよと、どう教えて行けばいいのか。
大きな盥のなかで、ビー玉を転がし、手から出て行ったビー玉は、「なくなったのではなく、存在し続けているのだ」ということを理解してもらう試みなどは、なるほどと思わされた。
目が見えない、耳が聞こえない人にとっては、触れたものだけが世界で、触れるのを辞めたとたんに、世界は失われるのだ。

それでも、指の感じ、皮膚の感じ、触れられ方で相手を個人的に認識している様子が見て取れて、すごい! と思った。
目で見て、耳で聞く私たちは、誰かが私に触れてその触れ方で、相手がだれかわかるだろうか。それは難しいと思う。

一番驚いたのは、ある子どもの一見不思議な動きだった。

初めて会った人に触れられて、その手を感じて、その相手に集中した後のことだ。
ガクッと全身の力が抜けて、頭が完全に落ちる。
その状態はしばらく続く。

それは、一見意味不明な動きである。

盲ろう教育の先進国、フランスから訪れた人が言う。

「これは考えているのです」

あー。
なるほどー。

日本の施設の職員と、私は同時に声を上げていた。
考えているんだ! 時間が必要なのだ!
そして、考えると、身体は脱力してしまうのだ。
誰に教えてもらったわけでもなく、考えるときの姿勢は完全脱力だった。

頭で考えることも大事なことだが、こうなるのだ!!

私たちは、頭で考えながら動こうとするから身体的には無理があるのだろう。
頭で考えないように、いつも言われるが、そういうことだ。

「考えるな! 感じろ!」

である。

頭を使うとそうなるのだ。頭という身体の一部は、大きすぎて、いったん使い始めると他のところが疎かになるのだ。

全身で、相手を感じようとしているときの彼女の身体は全部が相手にむかっていた。
全身で相手を感じようとしていた。
思考をはじめた瞬間、彼女は自分の中に入る。

ああ、これが、頭を使うことの意味だと思う。



盲ろうの人が、人間について教えてくれる。
それをメディアを通してみることができる。
ありがたく、感謝しつつ、身体について思いを馳せる。
2017/04/06(木) 10:56 身体論 PERMALINK COM(0)
今日の坐禅は散々。
師にも見破られていて「考え事していたでしょう?」とニコニコ。
警策も一度、いただきました。

だって、静かに座ると身体の中が見えるんですもの。
何も考えないでいると、下腹部が熱を帯びて疼くんですもの。
言葉でも情景でもなく、ただ身体感覚が今あって、まだあって。

今、今。
今、ここ。このとき。
そう念じていても、私の身体は「今」欲してる。

どうしたものか・・・。
2017/02/28(火) 12:48 身体論 PERMALINK COM(0)