ずっと注目していた僧侶がいる。
この田舎の県の出身で、寺の息子として生まれて、東大に入った。
そして、戻ってきて僧侶として親の寺を継ぐ・・・までは普通の展開。

その人は、本もたくさん書き、色々なイベントを主催し、カルチャーセンターなどで講座を持ち、全国で講演して回るという、ある意味文化人だった。
それを良く思わない周りの寺院や、保守的な檀家さんにより、もともとの教団を追放される。
その後、どの教団や宗派にも属しない寺として、再出発し横浜と当地に「瞑想」「座禅」を修行の手段とする合宿やイベントを開催していた。

当地でのイベントは、30分も車でかからない有名な観光寺だったので、いつか行こうと思って、チェックだけはしていたが、なかなか時間が合わなかった。

昨日、フッと思い出してその人のホームページを開けた。

手書きの文字のページが一枚だけになっていた。
(以前はそれはそれは凝ったページだったのに!?)

何が起こったのかといぶかしく思い、小さいちまちました筆跡をたどると、彼が寺を出たことがわかった。

寺は消滅しました・・・とある。

もちろん、建物がドロンと消えることはないのだろうが、せっせと作ってきた建物を放置して、旅に出たというのだ。
何も持たず、(もちろん電気機器もだ)、寝袋と風呂敷一枚にくるめるだけの持ち物で、瞑想の旅に出るという。
そもそもが、ものすごい戒律の厳しい人なのだ。
彼に賛同する人は、その戒律をしっかり頭に入れて、一緒に行きましょうとあるが、いったい何人の人が彼と行動を共にするのだろう。

この豊か(?)な日本で、物乞い同然の生活をして、決して建物の中で寝ないという戒律もある。

多分、彼を頼りにしていた在家の人間もたくさんいたはずだ。私よりもびっくりしているだろうなと思う。
彼は、いくつかの約束を変更し、(2回だけ瞑想会をする予定だったらしい。場所を野外に変更して、実施するという)、最低でも1年、もしくは2年から7年の旅をするという。
なぜなら、「悟り」がそこまで来ているから、それに従いたいのだという。

・・・

彼のことを文化人と思って、そう遇していた人たちはびっくりだろう。
私も「ただの文化人、執筆や講演で飯が食えるなんて、良い身分」と見ていた面があった。
申し訳ない。見くびっていたのだ。
もちろん、やっかみもあった。

そういう人が、全てを捨てて瞑想三昧の度に出るという。
世間的には、世捨て人である。

何も持たないで生きるというのは、なんて自由かと思う。

ただ、世間的には叩かれるのかなと思う。
この突拍子のない行動力。
既成の価値観を捨てて、惜しまない潔さ。
既成の価値観にしがみついて生きている人間には、まぶしいくらいだ。

彼が悟れば、世間は「仏陀の再来」とか言ってもてはやすのだろうか。
もちろん、彼はそんなことを自分で言う筈はないが。
最初の仏陀(シッダールダ)の頃の仏教教団は、それはそれで反社会的である。
幸せな王子様として過ごせば良いのに、それを捨てて旅に出るのだから。
同じようなことをしようとして、それをポンと実行する。
素直にすごいと思う。

一瞬、私も旅をともにしたいと思い、もう一度戒律を読み直して、無理だと思い直したw

さて、彼がいつ戻ってくるのか。
本当に「解脱」してこの日常に戻ってこれるのか。
私は見守りたい。

ちなみに、10月には、最後の瞑想会がある。
それには足を運んでみようかともくろんでいる。
2018/09/30(日) 17:47 日常 PERMALINK COM(0)
二年前の出張から帰宅した日、猫が死んだんだった。

しろ子さんは、私が出張に出発する日くらいから悪化してしまっていた。
家族が、看病してくれて、最後の時間を数時間過ごすことができた。
(がん(悪性リンパ腫)の再発で、積極的治療を控える判断をしてのことである。基本的には、安楽死適応だったのかもしれないと思う日々だが、家で私の腕の中で逝ったことは、お互いに幸せだったと思う)。

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あれから、2年。

まだ、あの子を夢に見る。
今朝も、棚の上に彼女がいて、私はパソコンで仕事をしながら、左にいるしろ子さんを左手で撫でていた。
あまりふわふわでない、バサバサの、華奢な子猫のような猫。
ああ、ここにいたのだねと、当たり前のように撫でてた。
目が覚めて「ああ、夢だった」ととても残念に思った。

実は、しろ子さんの墓を掘り返している。
このまま土になるのが、なんとも納得がいかない。
本当にあの子は死んだのかと、しろ子さんの死をもう一度、いや、何度でも確認しておきたい自分がいる。
職業柄、骨標本というのは作ったことがある(牛だけどw)。
猫も同じだろう。
骨をどうするか考えてはいない。
こんな学問をしてきて、職業もこれで、牛の骨標本のお手伝いしたこともあるのに、自分の猫の墓を掘り返し始めるのは、なぜか難しかった。
一年ほど考えていたのだ。

普通、骨標本は1年くらいで引き上げて、洗剤を入れて、骨(まだ肉や腱が付いている)を炊く。
逡巡しているうちに、一年が経った。
あまりに延びると、うちは酸性土壌なので骨が傷む。

意を決して命日から掘り返し始めた。
埋めたと思ったところには、しろ子さんの骨はなく、ちょっとずつしか掘り進めない中で、今でも全然進んで射ない。

右の大腿骨と、寛骨と、仙骨が出てきたが、すぐに出てくるだろうと踏んでいた下腿骨や左の骨、腰椎などは見落としたかどこにあるかわからない。
あとは横に掘り進めば良いはずだが、出てくるのは不定形の石と植物の根っこばかりで、出てこない。
雨の日は作業ができないし、気力と集中力を使う仕事なので、1日ちょっとずつである。
今日はできないなあ。

しろ子さんの大腿骨は、細くてまっすぐの美しいラインを作る。
(大腿骨だけ、お掃除してキレイにした)。
寛骨にはまだ、毛皮の一部が張り付いている。
閉鎖孔の部分の筋肉がまだ一部残っている。
小さな寛骨。仙骨は素人なら、捨ててしまうだろう。
でも、背骨はもっと小さい筈だと思うと、なんだかもう掘り進めないのだ。
土の中から、そんな小さいモノを探す・・・。

私は発掘なんて仕事には向いてないなあー。
しろ子さん、ごめん。完全骨格を拾うのは無理かもしれない。
(既に膝蓋骨がない)。

それでも、死を確実にするために。
しろ子さんの魂はここには、もうない。
しろ子さんだったものが、ここにある。
骨を全部キレイにしたら自分はどうするのだろうと、考える。
頭蓋骨などは出てくるのだろうか。
頭蓋骨が出てきても、平静な気持ちでおれるのだろうか。
少し不安ではあるが、少しずつでいいので、掘り進もうかと考えている。
(いつでもやめられるし)。

私の中にもある骨。
あなたの中にもある骨。

しろ子さんの小さな小さな骨。

雨がやみますように。


2018/09/29(土) 11:31 日常 PERMALINK COM(0)
終わりました。
昨晩帰宅しましたが、気力が残っておりませんでした。
(体力は残っていたので、山には登りました)。

まあ、色々あって、落ち込むことも、不愉快になることもあります。
私はこういうとき、神さまがもっともっと勉強しろと伝えてるのだろうと思うのです。
それでも、上手くいったときと、上手くいかなかったときでは、上手くいく方が数倍元気になります。
今回はしばらくしょんぼりです。反省しつつ、ストレスを発散しつつ、日々の仕事に正直に真摯に取り組むだけです。

・・・それでも、多くの学生が「良かった」「勉強になった」という声でしたが。
私は、どうしても欲張りなので、一人でも「つまらん」と思えば、それが気がかりになってしまうのです。
かっこよく言えば、「要求水準が高い」ということですが、まあ、欲張りなんですね。
一人の学生に伝われば、本当は御の字のはずです。
欲張りだなあと、自分でも苦笑します。

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それにしても疲労困憊ですw
でも、空手に行くつもりでした。
そしたら、駐車場がまったく空いていないので、指導員に連絡して休みました。
(指導員は幼年部の遊び稽古の時間からいるので、朝早く来ていたので停めることができていました。さすがに、幼年部には私は参加しません。)

午後は、今からある有名人の講習に参加します。(市内で開催)
明日の講習会は中止になってしまいました。
残念無念ですが、やはりこれも「勉強しなさい」という天の声ではないかとwww

3日間留守にした家は、どこかゴチャゴチャになってます。
掃除も行き届いていません。(普段も・・・ですが(^^ゞ)
やることはたくさんあります。

ほーら。そうこうしているうちに、9月が終わるじゃないですか!
あのヒトも元気にしているようですし。
大丈夫。


2018/09/29(土) 11:15 日常 PERMALINK COM(0)
さて。
今週は明日から、毎日集中講義です。
特に水曜日は終了後そのまま移動です。(新幹線で3時間(乗り換えあり))。
4日間で、24時間。
違うことを講義します。

来週も大学の後期がはじまるので、忙しいです(ーー;)。

師匠との約束の10月になります。

なんと月日の経つのは速い。
ほら。三ヶ月過ぎました。
きっと、すぐ年月は過ぎてくれます。

会えたら、どんなに嬉しいでしょうか。
そういうことを考えながら、日々を過ごしています。
あなたのことを忘れたことは、ないです。

2018/09/24(月) 17:55 日常 PERMALINK COM(0)
今日大会だったんですが、階級を変えての挑戦は、見事に散りましたw
先生が気の毒に思ったか、「敢闘賞」を下さいましたがwww

いや、集中力が続かなかったという。
一つは筆耕の仕事があまりに重責だったので。
前日準備で、全然やれてないことが発覚。(というか、一晩掛けて、書式は作り直したんですよ!!)

おかげでエクセルをちょっとだけ使うことができるようになりましたが。
印刷したあとで、「いやここは、こう」っていうの、やめてください。
労力は良いけど、用紙がもったいないですー。
なんていうドタバタを1日中。

くたびれました。

もう一つの理由はオフレコですが、先生に暗にあなたには旗は上げないといわれたわけです。
同じくらいの実力なら、あなたではないほうに旗を上げるようにしますが、それは身内贔屓にならないように、です。
と言われて、なるほどなと思いつつ、がっくりしました。(もっと遠回しな表現でしたが)。

それは、しかたないですね。
審判が少なく、身内の戦いに審判として出なくてはならないケースが多いからです。
(弓の審査に似てますね。弓も身内を審査する場合は、○を付けませんといわれたのです)。
まあ、それはそれですけど。

色々あって、まあ負けて当然な出来でした。(ToT)

でも、範士の先生が近寄ってきて「なんで負けたの?」と。
私はしおらしく、「最後の足を間違えまして、やり直しました。それを審判の先生方は見ていて「ハッ!」と反応されました」と説明しました。
実際、足を間違えたのです。そして、間違えたなら、そのまま続ければいいのにやり直してしまったとので、めっちゃ目立ちました。
一人の先生は、私にあげてくれましたが、二人の先生は相手に旗をあげました。

範士の先生は、うーんと考えて、
「それは、一本だけでしょ? 他のを比べて総合的に見ても、あなたの方がずっと上よ。私だったら、旗はあなたに上げるな。そんなミスくらいではひっくり返らないよ。今度もっと大きな大会に出ようよ。そこなら、あなたは上位を狙える!」と力説してくださいました。
ありがたくて、お世辞でも嬉しかったです。
私も、誰かが落ち込んでるときに、力付けることのできる人になろう!! と思いました。

また、来年(^o^)
肘はテーピングのおかげか、あまり痛まずでした。
というか、治ったと思うと駄目ですね。すぐ無理をしちゃうw

「若い頃に戻りたい」と先生方はよく言われますが、私は戻らないほうが良いなと思います。
なぜなら、また五体満足な健康な身体になったら、また無茶をするだろうと思うのです。
身体を痛めるような競技(フルコンでの自由組手など)に復帰したくないです。
何度若返っても、私はそこに戻ると思うのです。
動けるならば、痛みがないならば、きっと今でも、フルコンに戻ろうとする魂がいます。

年を取ったことで、それが無理になったことは、喜ばしい。

また一年精進して、がんばります。
師匠は後2年と、バイクの免許を更新した。
それでも、若干の不安があって私はついつい「先生、気をつけてくださいよ!」と小姑のように口うるさく言ってしまう。
80までは、バイクで動くとおっしゃる師匠。うん。気をつけて! 応援しています。
80以降は、またそのとき考えれば良い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

道場に九一歳の方がいる。
ご自身で20キロほど離れた自宅から運転して通われる。
去年新車を買った。
(アシストが色々付いたもの)。

私たちは心配でたまらないし、私自身、彼女がちょっとした失敗をして他の人に迷惑を掛けた現場に居たこともある。
(駐車場の前で車が動かなくなって、出るのも入るのもできなくなってしまった。他の車にとっては迷惑極まりない。このときは、短い時間(10分くらい?)で動けたが)。

高齢者の事故の話をニュースで見るたびに、ドキドキする。

そして、その方が道場に来たときの皆の反応がすごい。
「気をつけてくださいよー」
「事故せんように!」
全員からこんな言葉をかけられる気分ってどうだろう。
一人二人なら、ああ心配してくれるんだとありがたく思うだろうが、ほぼ全員(私以外の)。
ウザいというか、言葉の裏に「車で来るなよ~、怖いなあ」という意味を見てしまう。
私は、自分の中にその思いがあることに気づいて、もう「気をつけて」とは言わなくなった。他の方に言うのと同じように「また、ご一緒に稽古しましょう」と声をかける。

その様子を見ていたK会の会長が、心配してその女性に「運転禁止」を言い渡した。
会長の徹底しているのは、自分で時刻表やバスの運行表を調べて、その女性が使える公共交通の時間や乗り換えの場所を全部調べ上げて、大きな字でプリントして皆に配ったことだ。
こういうモノを使えば、車でなくても来れるのです! 会長は胸を張った。

ただし、不便な田舎のこと。
一度、列車とバスを乗り継いで来てみた女性は「疲れたわ。もう帰る」と1回来てそのまま帰ってしまった。
無理があるのだ。私だって、そこまでして来るのは「体力」が持たない。

そして、あるとき会長が自分でその女性の送り迎えを始めた。
周りの人間が、それをしないのを不満に思っているのは明らかだったが、既に、多くの人間が手を出した後なのである。
(多くの人がその女性を送ると約束するのだが、その約束を当の女性が忘れているのである。何度もそういうことがあって、皆「もうしない」と)。

会長もそういう目に遭うのかと思っていたが、さすがに女性の住所とは真逆のところから送り迎えをすることには苦労も多いだろうと思った。
幸い私が時間もあるので、私が送り迎えをすると申し出た。
私は、彼女が「忘れている」ことは当然なので、事前の4時間位前に電話をして確認することにしたのである。
そうすれば、「約束した」「知らない」の水掛け論はなくなる。
確認して駄目なら、それはもう手の出しようがない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そういう形で始まった送迎が、突然、水曜日に「もういい」ということになった。
会長が、その女性と話して、送迎してもらうのは、「一人前」ではないということに気づいたというのだ。

そして、こう言った

私が九〇歳として、運転免許を返すかというと絶対に返さない。
他人に乗せてもらうかというと、それは嫌だ。
そういうのは、人間として「一人前」ではない!

は?

私は多分、超怪訝な顔をしたと思う。

会長は「だから、ららさんも、もう送迎はしなくてもいいよ。来たければ自分で運転してくる」と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

はあ?

私は違和感をどうしても拭えない。
自動車を運転するというのは、個人の話ではない。
事故は、他人を巻き込む。自動車は凶器である。
永遠に運転できるかというと、今の段階では、あり得ない。(自動運転ができれば可能かもしれない)。

私がモノを考えるときのやり方は「何が一番大事か」である。

私の一番大事は、「稽古を続けること」であって、「一人前かどうか」ではない。
半人前でも、人間でなくても、私は稽古を続けたい。
車を運転して、事故をすれば二度と稽古には来れない。
そう思えば、誰かの車に乗せてもらうことも、送ってもらうことも構わない。
誰かにすがってでも誰かにおんぶしてでも道場に来たい。

だから、私の住居は道場に歩いて行けることが条件である。

運転が「一人前の証」?
会長は何を言っているのだ?

あとで、会長に質問にいった。半分嫌みである。

「先生は何歳まで運転するおつもりですか? 九〇歳までは運転するとしても。」

そう質問した私に、会長はちょっと考えて「一〇〇歳でも」と答えた。

アホかと私は思ったが、黙っていた。

すると、「稽古も一〇〇歳まで続けるよ」とおっしゃったので、私はニッコリ笑って「先生、私たちの手本として必ず一〇〇歳までは続けてください。ついて行きますよ」と言って、その場を去った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アホなのである。
一〇〇歳まで運転できると考えるのは、アホだと思う。

というか一〇〇歳を知らない。
私の方が知ってるじゃないか。

稽古は死ぬまでやる。
運転は無理だと思う。
それでいい。
最後は稽古もできず、死ぬ。

何が一番大切か。

運転することは「リスクを上げる」ことになる。
稽古を中断、もしくは辞めることのリスクを上げる。
事故ということがあるからである。
リスクの増大を見ないことは、アホである。

最悪を想定して、最善を期待する。
それが、正しい生き方だ。

稽古を続けられなくなるというリスクは徹底して排除したい。
・・・だから、あのヒトには会えないというのに!!

イライラとしながら、稽古した結果が下。
たまには、オール残念でも良いじゃないか。
そう開き直って過ごした。