疲れた、行きたくない。
寝たい。そう思う午後。

重たい身体をノロノロと動かして準備する。
弓道用の和服に袖を通すのもだるいー。尻端折りして、袴を身につける。
あー、行きたいけど行きたくない。

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で、最近はちょっとだけ調子が良い。
それでも、ずっと中りということはなくて、半矢は中る。
たまに4本中3本入る。

参段というのが、「半矢」が条件であるなら、私はなんとかその点ではクリアということかなと、ホッとする。

新年会でも、隣に座った弐段のヒトが5年半のキャリアだと言っていた。
(慌てて先生方が、私の方を指して「この人は、稽古量が違うから比べちゃだめよ」とフォローしたのだった)。

正射正中。または、正射必中という。
ただ、「中てよう」とは思わない。
正しく動くのだ。
以前は「中てたい」心が身体の造りを壊していた。
今は、まだ「中てたい」心はあるが、身体にそれが響かない。
身体はただひたすらに、正しく。
そうすることで、得る的中は素晴らしい。

今日は外しても、二本がだいたい1㎝以内である。

最後の射は、特別にビニール的を射ても良いというお許しがでた。
普段は、紙製の的であるが、夜の高段者の稽古ではビニール的を使うのである。
(どちらも枠は、木製である)。

高段者の先生方が見守る中・・・。

1射目はものすごい大きな音がして、的中を知らせた。
(ビニール的は、的中のときの音がめちゃくちゃ大きいのである)。
おおっ! と後ろがどよめく。

2射目は、カツーンという大きな音が響いた。
カツーンは的の枠に当たった音で、角度が悪いと的から弾かれる。
蹴り出されたねえと、先生方が笑う。

3射目。その蹴った枠のすぐ内側に中る。的中である。

4射目。再び大きな的中を知らせる音が響いて、ちょっと胸をなで下ろす。
先生方が、「バンバン中ててから!」と笑いながら驚いてくれる。

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枠を蹴らなければ皆中だったのが、残念ではあるが。
それよりも心が騒がなかったのが、自分的には満足である。
中ててやろうとはしなかった。中てたいし、中ればいいなと思うけど、それはそれだけ。

静かに自分の心を見て、正しく引く余裕があった。
今の段階での正しさなど、たいした技量でもないが、ただ正しく引こうと腐心できたことは、稽古の成果であろう。

正しく引けば、正しく中るんだ。

他の種目でも、同じことだ。

そこまで考えて、あることに思い当たった。

ああ。

人生もか。
人生も、正しく生きれば、正しく結果が出る。
もちろん、自分の生きているウチに結果が出るとは限らないが。
それはそれでいい。

そういうことか。
ただ、引く。
ただ、生きる。

弓道に感謝しながら、家路についた。



採点終了。資料もすべて提出して参りました。

疲れた(´・ω・`)

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いくつかの救いは、最後に提出させる学生たちのアンケートの結果がとてもよかったこと。
一人を除いて、合格だったこと。
くらいかなあ・・・。
着替えて弓を引きに行きたいのですが、寒くて縮こまってます。
眠たいし。

でも、頑張ります。

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別項を立てる必要もなさそうなので・・・。

今日は特別な満月らしいです。
皆既月食もあるし、ブルームーンだし、スーパームーンです。

星に願いを、月に祈りを。
また会う日まで。
2018/01/31(水) 14:02 日常 PERMALINK COM(0)
片道2時間かけて、ちょっと出かけてきました。
道に迷ったので(いつも通りだわ)、ちょっと遅れて参加。
(無料ですので。)

ああ、今回こそは、武術の神さまは私を見放したかあと思いながら、何度目かのUターン。
5分~10分くらいの遅刻でしょうか。
全体で20分ですから、半分くらい見れました。

そして、ああ、神さまは私を見放していなかったと思い返しました。

多分、ですね。
私が時間の前について、一番前で待っていたら、とてつもなくプレッシャーだったと思います。
(もしかしたら、会自体を台無しにしてしまっていたかもしれません。私は大人ですから、そんなのは望みません)。

遅れて入っても、仲間内(それも武術関係者ではない人たち)の暖かい雰囲気に私がフッと前に行くと、場に緊張が走りました。
当然、私は「遅れてすみません」という態度で、ニコニコして入っていったんですがw
どうぞどうぞと、前に出されて、一番前になってしまったわけです。

みんなが友達だったのでしょうか。
いや、一人くらいは、興味があって足を止めたヒトもいたと思います。
でも、わざわざ遠くからそれだけのために来たという風情の私は明らかに異質でした。

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悪口は、師匠に禁止されています。
ですから、感想は辞めましょう。
悪口を言うつもりはないですが、そう読まれてもしかたないかもしれませんし。

ああ、こんななのだ。
私は実際に手をとっていただきたいと思って、一番前にいたのですが、「質問がたくさん出そうなので、今日は質問タイムはなしにします」と予防線を張られてしまいました。
10分弱。
でも、ヒトの動きや考え方を知るには十分でした。

そして、「護身」ということの意味を改めて考え直す良い機会になりました。

ちょっと疲れたかなあ。(精神的に)

大丈夫。自分の道を進むだけです。
祝射会でした。
五段錬士になられた方のお祝いです。
ですので、一手二本だけという・・・。
私は最後の立。(高段者から引くので、最後の立ということは、一番下っ端ということですがw)

結果から先に。

またしても「残念」でした。
最近は、半矢くらいは中るというのに。
会長先生方が見守る中の、大前(一番前で弓を引く)で、すっごく緊張しました。
的の7時と5時の外に刺さりました(ToT)。
寒かったし、待ち時間が長くて、かじかんだし。

とまあ、いつものように、「弁解」を並べてましたが、その五段錬士の方の、答射礼にショックをうけました。
彼女は、国体選手でもあるしそりゃあ、的中が普通のヒトなのですが、それでも、堂々とした射で、皆が固唾をのんで見守る中、もちろん皆中です。

後から、「甲矢はまだ良かったけど、乙矢は会が短かった」と反省の弁を述べておられて、なんとまあ、謙虚なことだと思いました。

私などが、弁解をしていてはいけないなあと。
より一層の質の高い稽古を目指して頑張らないといけません。

いつか、私も五段錬士となり、皆さんに祝射をしていただけるように!!
夢がでかい?
いいえ。本気です。

もちろん、他人には言いません。
胸に秘めて、稽古します。

朝いただいた、応援メール。
心から感謝しています。
現在の私の実力はこんなもんです。
たぶん、他の種目も未熟でしょう。
未熟だからこそ、精進するのです。

さて。今から着替えて、新年会です。
本当に、多くの人に支えられて今があり、感謝をしています。

残念だったのは、自分の射ではなく(これは現在の実力ですから)、あなたに会えなかったこと。
また、いつかお目にかかれることを、祈っています。
うわあああ。
一面雪です。気温は氷点下・・・。

午後、弓なんですが・・・。

午前の空手はキャンセルしました。
普段でも、空手→弓はギリギリになるのに、今日は大会ですので。
皆さんに迷惑を掛けてしまうのではないかと思いますので、無理はしません。
こんなに降るとは思ってなかった(ToT)

どうせ、会えなかったなあと、空を睨む。
この雪ではね。

それよりも午後の弓が心配です。
少しは気温が上がりますように。
2018/01/27(土) 08:27 日常 PERMALINK COM(0)
日常? かなw

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ハンナ・アーレントという哲学者がいる。
女性だ。

哲学授業のときのことだ。
古代のソクラテスからプラトン、アリストテレスと来て、近代のデカルト、ベーコン、ヘーゲルまで進んだときのことだ。

「先生、どうして哲学者は女性がいないんですか? 女性の哲学者について聞きたい」
という意見がでたのだ。

今まで何度も何度も授業をしていて、そういうことを言われたのは、初めてだった。
すごい。
勉強ができる学校ではないし、彼らはクレオパトラも知らないし、ヒットラーも知らない。

そういう学生に、古代からの西洋史を絡めて哲学をやっている。
学生たちは、「へー」とか「ほー」とか言って聞いている。
これはさ、彼らが勉強が苦手なのは、教え方が悪いんだよって、怒りすら沸いてくる。
(もちろん、箸にも棒にもかからないのもいるが)。

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というわけで、ハンナ・アーレント。

もちろん、悩んだ。
女性の哲学者といえば、サルトルの相棒のボーボワール。
それから、すぐに浮かぶのは、シモーヌ・ヴェイユなどなど。

ボーボワールについては、女性運動と絡めないとしゃべれない。
シモーヌ・ヴェイユは、落ち込むわ。真面目な女性で、36歳で客死。
自分が、いかに不真面目に、自分本位に生きているかを突きつけられる。

アレントについては、ナチスのアイヒマンについて書かれた『イェルサレムのアイヒマン』という名著がある。
みすず書房のその重厚な本自体は読んではいない。いずれ読むことになるだろう。
しかし、アレントについての本は読んでいる。アレントなら授業できるかなと思い、現在チャレンジしている。

アレントの業績とは別に、もう一つ、私の心を捉えてはなさい、アレントの話がある。

彼女は早熟で、18歳で哲学を志して大学に入学して、当時の気鋭の哲学者、マルティン・ハイデッガーと出会う。
教師と学生として。
ハイデッガーは妻子持ちの35歳。

そして、二人は恋に落ちる。狭い町で、二人の関係はすぐに露呈しアレントは大学を移る。

・・・ここまでは良くある話。

二人の関係は、死ぬまで続く。
男と女として・・・かどうかはわからない。
アレントは、ナチスドイツに賛同したハイデッガーの戦後の弁明を信じ、ハイデッガーを言論界で擁護し続ける。
ハイデッガーの業績を英語に翻訳して、アメリカで紹介し続けたのも彼女だ。
ちなみにアレントは二度の結婚をし、二人目の夫とは、最後まで添い遂げている。
(アレントは、ユダヤ人迫害を逃れて、米国に亡命している)。

晩年は、ハイデッガーの妻とも和解する。
そして、アレントはハイデッガーよりも先に死ぬ。一年だけだが。
前出の本だけでなく、『全体主義の起源』などの大著を著している。

実は、アレントとハイデッガーの関係がずっと続くのは、公の上で言論の上だけではない。
二人は、ずっと手紙のやりとりをしていて、それが残っている。(これも邦訳がある)。

愛するマルティン。

愛するるハンナ。

と呼びかけあう二人。

私には、なんとも奇跡のように感じるのだ。

手紙の最後は、「きみのM」「あなたのハンナ」と結ばれる。




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そういう奇跡のような関係もあるのだ。
うらやましく思う。
切なく思う。

手紙の1つすら、私にはない。
手紙を書くことも許されない。

そういうことから、この不安定な関係性の苦しさを思う。

アレントを勉強しながら、アレントに憧れている。
2018/01/23(火) 10:25 日常 PERMALINK COM(0)