手順を追う稽古

大東流 2021/09/17(金) 14:25
今日は一人。Hさん。
ホント、突きが速くてホント大東流で捌こうという気がおきないw
それこそが、稽古なんで良いんですがね。
わはは。

苦戦中。

昨日のお茶の話をした。

なぜお茶を点てるとき、手順が多いのか。
簡単にパッともっていけば終わるような所作を、三手に分けて丁寧に行う。

理にかなった無駄のない所作・・・ではない。
優雅に見えるから? いやいや。武人が好んで行う茶事である。そんな理由ではなかろう。

武道に似てる。
わざわざ相手の手をとったり、横を捌いたりする必要は本当はない
「相手を倒す」という目的のためには、むしろ無駄な動きだ。
そのまま、真っ直ぐ相手の正中を抑えて入って正中を攻撃すればいい。
ボクシングのように。

なぜ手順が多いと思う? といたずらっ子のように私を試す先生は80歳を越えた。
70代の最初に出会った私を軽々とオンブして歩き回ったが、近頃はさすがにそれはない。

うーん。
考える振りをしながら、私は先生の好きそうな解をを探す。
武術で考えれば、手順が多いと言えば、古流なぎなたの型もなぜか手順が多い。
なぜそこで下がる? なぜそこで一息? なぜ? なぜ?

古流の杖道をしていると少しわかる。
手順は、相手との間を取っている。

組みワザは、相手より速く動けば勝てるというものではない。
速く動くせいで、逆に動きが読まれる。
杖の1番の難しさは、手順をまず覚えて、相手より速くうごくことで型を続けてしまうことが御法度ということだ。
相手より速く動けば、逆に隙ができて、簡単に斬られる。
相手が先。杖は後の先。
そのための手順だ。

「間、ですかね?」と私が探りを入れると、先生は「そうね。私たちの言葉では、「受け身に徹する」というわ」と。

手順に向き合い、手順をこなすことで、受け身になる。
能動として動かないということが、大事なのよ。
相手と繋ぐことは、自分が自分がではできないの。

ああ、なるほど。
これだ。一は全、全は一。

日本文化は手順を大切にしていた。
形骸化してしまっては元も子もないが、そもそもの根源はここだ。
お茶に惹かれるのも、そういうことが学べるからだ。(だから、普通のお茶の稽古はしない)。

まさに、大東流である。
直線の動き、無駄のない動き。
しかし、手順を追い、「自分が」投げるということを捨てれば見えてくるものがある。
天才と言われた人たちは、最初から手順を追わなくても「自分」が出ない人たちなんだろう
私はすぐに「我欲」にまみれるので、凡才というか鈍才である。

お茶と大東流が(他の武道も)繋がった一瞬。
この一瞬を求めて稽古していると言っても過言ではない。

後の課題は、このことを誰かに伝えられるか? ということだ。
Hちゃんはわかったような、わからないような顔つきで聞いてた。
そして、いつものように最後はバンバンに私を投げてくれるのであるが。

まあいい。
私がわかりたくて、私のために稽古を積むのだから。

No.68 PERMALINK