丙午

あははw
机がボロボロですね。
後の黒い影は、猫です。gooちゃん。
この後、猫たちがチェックにきて、写真が撮れなくなりました。
No.651 PERMALINK

西日本女子

2026/03/09(月) 22:03
先々週は、九州で西日本女子大会だった。
新錬士の演武というものがあるらしく、希望者は〇を付けて申し込むように書かれていた。
一緒の立で仲良しになった看護師さんの女性とメールのやりとりをして、「一緒に出よう!」ということになった。
だって、一生に一度のことだしね。(この時点で、たくさん演武者がいるという想定だった)。

西日本女子大会は、ひな祭り前後の日曜に開催される。
女性のみの参加で、だいたい400人から500人の参加を見る。
今回は447人。

前の週になって連絡が来て、「演武者に選ばれました。つきましては前日練習があRます」だと!!
プログラムを見ると、演武者の名前があるが、〇〇先生と、また、ここでも先生呼ばわりだ。やば。

前日も行くなら、二回も往復となる。そりゃ面倒だ。話を聞いて、一緒に行くはずの盟友Sさんが「私も泊まる」。
で、宿泊先を探したが、ない!! いやあ、そりゃあるけど、その日は一泊3万円とかしか残ってない。
しかたなく、30キロほどこちらに戻った場所でビジネスホテルを予約。2部屋。

次の日見たら、もう一杯になっていたから、運がよかった。

Sさんは、錬士だが、彼女が新錬士になったときはちょうどコロナで新錬士のお披露目はなかったらしい。残念がっていた。
ちなみに想像していた新錬士がずらっと並んで、一次審査の間合いで一手(二本)引くんだろうというのとは違った。
なんと、たったの5人。それも「着物」で、それも「定めを取る持ち的、但し取りかけの間合いで」というもの。
げげげ。錬士の二次審査ではあーりませんか!! いっちゃん面倒くさいやつ。
それも、黒の五つ紋で。


二人で朝10時過ぎにこちらを出て、古賀SAでラーメンを食べて道場へ。
Sさんは遠慮して外から練習を見る予定だったようだが、なんと福岡県の会長(女性である!!)に声を掛けられ「あら、見学なら中で見て頂戴」とのことであとから入ってきた。

さすがに予定の1時間前では私しかいなかった。
私は5番(オチ)で、一番目立つ&重要な役回りである。
道場のほうにちょっと行って、奥行きと歩く歩数を見ようと思って覗いたら!

デカデカと演武者の名前が墨書してあった!

人生でこんなに大きく自分の名前を墨書してもらえることが、今後あるだろうか。
空前絶後だと思う。わー、すごいとみていたら、会長が「記念写真ばとっときなさいよ」と声をかけてくれる。
この日、4人が前日稽古に参集したが、4人で一枚と、Sさんと私の名前を囲んでツーショットを撮ってもらった。

落ち着いたら中るんだから、落ち着け!
そう言い聞かせて本番。

とてもおいしい朝ごはんで、ウキウキでSさんと出かけた。
思ったよりも風は冷たい。

本番は、まあまあ体配も合ったかなと思う。
何より、二本入れました。束中です。(二本とも中ったときは束中ということが多い)。
1.〇×
2.〇〇
3.〇×
4.××
5.〇〇

大会には、何も関係ないのですが、二本入れたことで、大いに皆さんに褒めていただきました。
私も今回は大会よりも演武が重要だったので、もう終わったら腑抜けみたいになっていました。

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大会は、6本。
〇× 〇〇〇× で四中。
残念ながら、3位まで入賞で、5中が4人いたので、選外でした。
しかし、最後抜いたのは、皆に笑われました…(´・ω・`)
気合が抜けてたというのです。
実は、「あ、これが入ったら入賞かな」とかそういうことを考えてしまいました。
欲が出たんですね。
なんかもう、全然ダメな射でした。

ちなみに、Sさんは5中。
称号者の部で射詰が行われ、なんと2位(一位は地元の教士7段)。
すごいなあ。Sさんはすごい。(彼女は全日本でも6位だった)。
参加賞は靴下w
演武の記念には、干支の博多人形をいただきました。(Sさんの賞品も同じものだったので、お揃いです(^^)/)

Sさんのおかげで、すごく楽しい二日間でした。






No.648 PERMALINK

令和7年ラスト稽古

2026/01/01(木) 10:09
ラストは弓でした。
まあ、だいたい弓が多いんですけどね。(一人でできるから)

しかし、30日は県東の道場(80キロ以上離れている)に足を運びました。
そこは廃墟みたいなw 市営道場のはずですが、もう地区連が勝手に使ってよいということになってて年末年始のお稽古ができるんです。
それも今回で終わり。今年の春から新しい道場ができるので、この古い道場は更地になります。

そこでついなぎなたの話をしてしまいました。
というのも、弓で県内最高段位八段だったT先生(女性)が、なぎなたの県内最高指導者でもあったので。
で、空手をしていることを知ってる昔からの友人が聞くんですよ。

「やっぱ、弓が一番楽しい?」

返答に詰まりましたね。
大東流とか言ったら、また「えー、そんなのもやってるんだ」とか言われるし。
説明に時間がいる。

弓が楽しいのは弓をやってるとき。
大東流が楽しいのは大東流をやってるとき。
杖が楽しいのは、杖をやってるとき。
居合が楽しいのは居合をやってるとき。
太極拳法が楽しいのは…以下略。

なぎなたは今はしんどいです。
審査が近く、先生が厳しいので。


あいまいに笑って、みんながいるから楽しいと答えました。

弓の良さは、本当に人が多いことです。
今日も(元日)今から、行きます。
今年もがんばりましょう!

No.641 PERMALINK
で、書いていなかったね。
書いておこう。

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9月の月例会は、私の錬士昇格祝賀射会を兼ねた。
なので、なんと五段以上は皆着物での参加。
段位の順で、祝射一手(二本)を皆が引く。

最後に的を一つ真ん中にして、私が答礼射をするのである。
着物で。

皆が見ているのがドキドキである。
そういえば、10年前始めたころにM田さんが錬士昇格してこうやって、答礼射していた。
すごいなあと見ていたな。

一本目は12時に入った。良い射だと思ったが、乙矢は2時に外した。
緊張しすぎだよ。

でも、大きな拍手をもらって、本当にうれしかった。(そして、このとき、皆さんからのお祝い金をいただいた)。
競射は着替えてから。

最後のほうに入れてもらう。
緊張感がまだ残っていて、最初の立は皆中。
また拍手をもらって、緊張がさらに増す。

一立めは、皆中者は私のみ。

あらら、優勝しちゃう?
ちょっとだけ下心が出る。あー優勝賞品は「チョコレートケーキ」だったなー。と飾っている商品を横目で見る。
息子がね、チョコレートが苦手なんだよなあ。二位は、何々? マカロン。あ、娘の好物だな…などと考えて二立めに入る。

このまま皆中が続けば私が優勝w
って、そんなに人生甘くない。
我欲まみれになった私は、まったく明後日のほうに一本目を抜いたよw また2時。

いかん、いかん。

あとは気を取り直して〇。
○○〇〇/×〇〇〇
の7中。

するとね、いたわ。男性で。
最初3中のあと皆中。
ねんりんピックで、全国優勝を何度もしているようなオジイサン(H野さん)。

ということで、二人で射詰。
(サドンデス。外したら負け)

H野さんはくるりと振り返り、「今日はあなたの祝賀射会だけど、一位は譲らんからな」とニヤリと笑う。
おーい、H野さん、空気読めよー。などと囃し立てる人もいる。
私は苦笑いしてしまう。

一本目 H野さん×!
    えー、×? 
    私に声がかかる「チャンス!」
    これで入れれば私の勝ち。
    わかりますね。私も×

二本目 H野さん〇
    私はもう集中ができていないw
    見事に×

H野さんが振り返って「ねえねえ、僕が打ち負かしたんじゃなくて、あなたが自滅したんだよねえ」と笑った。
私もつられて笑う。「いえ、実力不足ですw」
いや、ホント実力不足。
どうしても勝ちたいという気分が全くなかった。(チョコレートケーキ要らないと思ったのも事実)。
女子では一位なんで、もう充分と思ったのかもしれない。
女子一位を独占していたY妻の牙城を壊したという満足感w
Y妻は「ずっと私が一位だったのに!! 悔しい!」と地団太踏んでいた。
Y妻は6中だったのである。

まあ、私の祝賀射会としては、恥ずかしくない成績だったということで、ホッと胸をなでおろした。
(ちなみに8月の射会はビリから数えて3位だったw そして、私より下の人は弓道はじめてまだ1年くらいの新人さん)。

とても楽しい射会でした。
No.637 PERMALINK

ご祝儀

2025/09/16(火) 09:43
錬士昇格のお祝いを頂きました。
なんと、有志一同から4万円!!
キャーびっくりです。
ここの会費は年3,000円なので、13年分の会費w
いやいや。大事に使わせていただきます。

本当に、ありがとうございます。
今の地区連に移って、本当に良かった。
感謝。感謝。

そして、日曜日は祝賀射会だったのですが、その話は別に。
No.635 PERMALINK

合格しました

2025/07/03(木) 08:07
弓道をはじめて9年と8カ月。
錬士の称号をいただきました。

受審者306人(欠席者含む)。
合格者10人。

当県からはもう一人、女性が合格。
彼女は歴は長いですよ。5段合格が平成の終盤ですから。
昨晩は祝福メールに埋もれました。
何よりうれしかったのは、いつも指導してくださる(月一で通っている)M先生がとても喜んでくれたことだ。

「私が死ぬのと、あなたが錬士になるのとどちらが早いかねー」と言っていたので、「良かった良かった!」と電話の向こうで泣きだしそうに喜んで下さった。
M先生は多発性骨髄腫、抗がん剤の副作用があって、大変である。89歳。

しかし、この報告をできなかった人がいる。
私の弓の最初の師匠であるT教士。初心者教室で出会って、私が空手で股関節が悪いのを聞くと頭をひねって「弓も体力使うよ? 大丈夫?」と心配してくれたものだ。
78歳で、今年の5月永眠された。もう数年会ってなかった。私の五段合格を誰よりも喜んでくれた人だ。
五段の審査の帰りに、小さい瓶に入ったミカンのお酒をお土産に買ったのだった。それが、お目にかかった最後となった。
とっても喜んでくれた。思い出すと、今でも胸があったかくなる。

もう一つ。
私が弓を始めた理由は、大東流を追い出された(!)からである。
あのとき、絶望の中にいた私が死なずに済んだのは、弓道となぎなたを始めたおかげである。
(もちろん、居合も杖も空手も続けてはいたが)。
全くの初心者、右も左もわからない、そういう世界で懸命に生きてきた。
大東流も場所は違うが細々再開できた。

あの絶望の日々から、10年近く経った。
 
年月は心を癒すのだなあと思う。
絶望したことは覚えているが、今は絶望してはいない。
ただ、必死に日々を生き抜こうという決意があるだけだ。
稽古は続く。
終わりの日まで。
No.627 PERMALINK