五段に合格したときは、元の所属を変わったのでホームページに名前がない。
五段合格をダシにして、連絡を強要したみたいな感じになっているうえに、それが「嘘」と思われていたら悲しいな。

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Y道場をやめたのは、去年の三月。
合格したのは4月。
なので、皆から「やっぱり移籍したのが良かったのよ」と言われている。
いや、それはマジ。
Y道場では偉い先生の前で萎縮して稽古をしていた気がする。
いや、下手糞先輩たちもいやだったな。
なんだろうなあー。下手な先輩には寛容になれないのは、以前からの悪癖だ。
いや、先輩面しない人ならいいんだよ。
先輩面して、色々アドバイスしようとする「教え魔」が多すぎる。
そのウザイ的外れなアドバイスを受け付けないためには、彼女たちに口をきかせないくらいの実力と肩書が必要なのだ。

どうして他人の動きを見れない人が勘違いで言葉を投げるのだろう。
勘違いだから、あなたは下手なんですよと言いたくなるのをぐっとこらえている私は大人だが、今回堪忍袋の緒が切れたわけで。

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私は今、Y道場にいませんので、ホームページにも出ません。
それで疑われるとしたら、悲しい。
まあ、それもまた人生。

今日も遠くからチラと見れたので、ヨシです。お元気で。
No.511 PERMALINK
ううむ。
すれ違った車窓越しに見えたのは、あの方だったか。
車が違ってたので油断してた。
あ、油断してたのはあちらもだろう。
私は普通車に乗ってたんだから。(あの方に会ってからこのかた軽自動車ばかりであった)。

そのあと、ガラス越しに道場で稽古しているのが見えて「やっぱりあの方だったのだろう」と思い返して、ニコニコしていた。
こんな風にすれ違うのでいい。声をかけなくていい。
遠くから「いるなあ」「元気そうだな」でいい。

恋しくて泣きそうだけど、泣かない。
私は私をがんばる。
色々不本意なことがあるけど、今日は元気をもらえた。
ありがとう。
No.510 PERMALINK
数年前、まだ竹弓を持っていなかったころ。
いくつかの銘を上げて、今後手に入れたいとブログに書いてたと思う。
結局、インタビューや写真で「わあ、このオッチャンの作った弓なら欲しいなあ」と思った永野重次さんの弓はまだ手に入れていない。
そのインタビュー記事の後、亡くなっていたので、新弓はもう出てこない。
いつか古弓でも手に入れる予定だ。

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難度も古弓を手に入れて、壊してきた。(合成接着のものは、作られて30年~40年で劣化してしまう)。成りを見て、矢勢を見て、反動などの感じを覚えてきた。
結局、最初に新弓で購入した桑幡正清の弓が自分には一番しっくりくるのである。
質実剛健という言葉が一番しっくりくる。頑丈で成りも変わらない。
最初、グラスとあまり変わらないなあと思って不安だった。(純竹を買ったのに、カーボン入りだったりするのかなーと)。
実際には、そういう風に作ってるというのがわかって、大事な相棒だ。
冬の15.5㎏と夏の16.5㎏は、いつでもメイン。五段審査もこれで合格した。

その後、新弓で手に入れたのは、「一燈斎」。同じ薩摩弓なのに、全く違う。今少々てこずっているが、今日はなんとかやっと60%に乗せた。2か月引いてきて、裏ぞりがまだ18cmほどあるので、まだ弦を掛けたままである。来月測ってまだだったら、どうするか。

あとは、無銘のニベ。昭和八年のハガキが入っていたので、そのころ作られたものだろう。
100年近い時を超えて、今なお現役なのはすごい。15.5㎏で購入したが、多分だいぶ落ちた。
(ごめんなさい。ガンガン引くとダメですね)。
細身の女性向けの感じだが、他所の道場の話を聞くと「女子で15㎏越えはあまりいないよ?」とのことで、昔の人は違ったのか、それとも小柄な手の小さい男性が使っていたのか。(とはいえ、男性で15㎏は高校生くらいだな)。

それから、再生弓。
壊れたものを打ち直してもらったもの。これは桑幡正清銘だが、私が所有するものより1代か2代さかのぼった先代の作である。
胴の入りが当代よりもきつく、何より裏ぞりがかなりあって、当代の扱いやすさ丈夫さが裏ぞりの少なさからきていることを考えれば、全く別人いや、別弓である。


それと、20㎏の桑幡道信が一張ある。
これはさすがに引けない。
素引きはできるが、的前だと弓手が負けてしまう。
筋トレ否定論者だった私が、せっせと筋トレに励むのは、この弓が引きたいがためである。

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今日の稽古中、となりで稽古しているのが見えました。
懐かしい基本稽古でした。
基本大事ですよね。
今でもよく、Sさんと「あの時の大東流は本物だった。あの時のKさんは情熱に満ちていた」と話します。

今でも、きっと本物を稽古されていることでしょう。
声をかけたくても、ためらってしまう。
いや、良いのです。お元気でいてください。
いつもあなたの幸せを祈っています。
No.509 PERMALINK

入賞

UNARRANGEMENT 2024/02/02(金) 09:03
片道7時間かけて、裏日本の豪雪地帯へ。
全国から多くの人が集まって(でも冬季だし、200人いかない)大会。

自分でいうのもなんですが、惜しかった!
結局7位入賞です。
あと一本あれば、と悔やみました。(毎回だべ)。

それでも、入賞は嬉しい。
普段全く入賞できないので。

弓は、大東流と違って相手がいないので、ただ己と対峙すればよいのが心に良い。

あ、そうだ。この前大東流の師匠のところに行った話も後でメモしよう。

では。
No.508 PERMALINK

忘れえぬこと

UNARRANGEMENT 2024/01/21(日) 22:44
だいぶ思い出すことも減ったはずだ。
稽古していれば忘れられると、稽古に打ち込んできた。

思い出さなくなったのではなくて、思い出しても苦しくなくなったということかもしれない。
一抹の寂しさはあるが、これもまた人生なのだろう。
遠くからでも、存在が確認できて、お元気そうなのが嬉しい。
昔のように身もだえするような苦しさはない。
忘れたい、忘れたいと思ってた時には、苦しくてしかたなかった。

今はあの方なら、こんなときどうするだろうかと、思い返すことはあっても、「いや、あの方は〈石橋をたたいて壊す〉タイプだから、私とは真逆のことになるな」と苦笑して終われる。以前はそこから感傷に浸っていたのだが。
今回、あの方が指南していたカルチャー教室がつぶれることになった。
短い間だったが、とても楽しかった。
そのことばかり思い出すが、思い出せるのは、嫌なことじゃない。
あのヘンテコな薄っぺらい畳の感触や、稽古のあとのお茶。

1つ1つ、思い出の場所がなくなっていくなあとは思う。

あの方を乗せて運転した、軽自動車も廃車となった。
もう、私のナンバーもわからないだろう。
もうあの方の車も知らない。

お元気ならそれでいい。
素敵な方だった。
素晴らしい方だった。
感謝している。
No.507 PERMALINK

職業病

UNARRANGEMENT 2024/01/16(火) 09:27
面白かった。
警察官の友人が私の車のナンバーを
「ばばぁいっぱい」ってなんやねん? という。
8818

なるほど。即座にゴロを作って覚えるっていうやつ。
さすが警察官と感心しきりであった。

そういえば、自衛官の友人はマメでまじめが取り柄だが、人柄もよく私はとても頼りにしている。
まじめすぎて、事務処理に厳格なところがあって、「そこまで言わんでも!」なところは確かにある。
しかし、少しでもちゃんとしたほうが良いのはわかる。
(たとえば、締め切りとか。○○日何時までとあるとき、数分過ぎただけでも彼は文句を言う。私は事務をやってくれている彼に敬意を表して遅れないようにするのが礼儀だと思っているのだが。)

これが、自衛官かとニヤリとしたこともある。

彼はルールを守っていないとか色々な場面で文句を言うが、声を荒げることはない。穏やかな冷静な奴なんであるが、私が知らない間に一度だけ怒り狂ったという話を聞いた。
それも一般人には「しょーもない」理由で。

それは、連合外(九州?)での審査の申し込みが地区連に張り出されていなかったのので、それについて県の事務の方に問い合わせたというものだった。
「なぜ私を通さない?」それが彼の怒りの原因だった。周りの人間は何に怒っているのかわからないでポカンとしていたという。
地区連の事務は自分だから、地区連の事務を通さずに県のレベルに話を持って行ったことが許せないのだとか。
「そんなやり方、通用しませんよ!!」と怒り狂っていたらしいが、言われたほうは「民間じゃあ当たり前だがなあ」という感想だったらしい。もちろん怒りに気おされて黙っていたらしいが。

ああああああ。
なんかあった。
そういう話。

自衛官の習い性ってやつかあー。
やっと合点がいって、私は大笑いした。
10年前くらいか。私が会のトップに直接話をしたことを、ブチ切れられたっけ。
今となっては懐かしい。
というか今頃わかる、自衛官(元自衛官)の性質。

なるほどね。そういうことね。

職業というのは、かくも人格や対人に影響するものである。

No.506 PERMALINK