稽古をしていると、ひときわ目に入る人がいる。
若い女性であり、私の門人でもある。
弓に、私の身体理論を取り込んでくださっている。
私よりもずいぶんと弓歴が長く、今年五段を受ける。

あの先生は、ここがすごくいい。
この先生は、ここが素晴らしい。

そういう見立てはたやすい。

しかし、彼女は「ここ」がない。
ただ普通に引いてるだけだ。
しかし、目が止まる。
この状態をなんと呼んで良いのだろうか?

そのときに思い出した教歌。

見どころの なきこそものの 上手なれ
(二巻 10ページ)

最初意味がわからなくて、散々調べた歌だ。
「見どころがない」というのは、普通は良くないという意味だ。
しかし、こと弓道においては、「見どころがない」ということは「上手なれ」なんである。

「見どころがない」=見るべきところがない。
ここでは、見るべきところとは目立つところがないということで、すべての身体の動きと心の動きが整って揃って動けば、「見るべきところ」などは出てこないと考えるのである。
そのような、取り立てて見るところのない、自然の射こそが上達のための大事な要件であるという意味である。

どうしてもここだけは目立とうとか、ここは頑張ろうなどとしてしまうが、本当は全体が整って揃って動かねばならない。

なるほどなあ。と思う。

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当の彼女に、そのことを話した。「あなたの射を見ていると、「見どころの なきこそものの 上手なれ」という歌を思い出すよ」と。
すると、ニッコリ笑って「とても嬉しいです!」。

私も、「見どころのない」射を目指そう!
2018/03/14(水) 09:23 教歌 PERMALINK COM(0)

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