師匠は後2年と、バイクの免許を更新した。
それでも、若干の不安があって私はついつい「先生、気をつけてくださいよ!」と小姑のように口うるさく言ってしまう。
80までは、バイクで動くとおっしゃる師匠。うん。気をつけて! 応援しています。
80以降は、またそのとき考えれば良い。

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道場に九一歳の方がいる。
ご自身で20キロほど離れた自宅から運転して通われる。
去年新車を買った。
(アシストが色々付いたもの)。

私たちは心配でたまらないし、私自身、彼女がちょっとした失敗をして他の人に迷惑を掛けた現場に居たこともある。
(駐車場の前で車が動かなくなって、出るのも入るのもできなくなってしまった。他の車にとっては迷惑極まりない。このときは、短い時間(10分くらい?)で動けたが)。

高齢者の事故の話をニュースで見るたびに、ドキドキする。

そして、その方が道場に来たときの皆の反応がすごい。
「気をつけてくださいよー」
「事故せんように!」
全員からこんな言葉をかけられる気分ってどうだろう。
一人二人なら、ああ心配してくれるんだとありがたく思うだろうが、ほぼ全員(私以外の)。
ウザいというか、言葉の裏に「車で来るなよ~、怖いなあ」という意味を見てしまう。
私は、自分の中にその思いがあることに気づいて、もう「気をつけて」とは言わなくなった。他の方に言うのと同じように「また、ご一緒に稽古しましょう」と声をかける。

その様子を見ていたK会の会長が、心配してその女性に「運転禁止」を言い渡した。
会長の徹底しているのは、自分で時刻表やバスの運行表を調べて、その女性が使える公共交通の時間や乗り換えの場所を全部調べ上げて、大きな字でプリントして皆に配ったことだ。
こういうモノを使えば、車でなくても来れるのです! 会長は胸を張った。

ただし、不便な田舎のこと。
一度、列車とバスを乗り継いで来てみた女性は「疲れたわ。もう帰る」と1回来てそのまま帰ってしまった。
無理があるのだ。私だって、そこまでして来るのは「体力」が持たない。

そして、あるとき会長が自分でその女性の送り迎えを始めた。
周りの人間が、それをしないのを不満に思っているのは明らかだったが、既に、多くの人間が手を出した後なのである。
(多くの人がその女性を送ると約束するのだが、その約束を当の女性が忘れているのである。何度もそういうことがあって、皆「もうしない」と)。

会長もそういう目に遭うのかと思っていたが、さすがに女性の住所とは真逆のところから送り迎えをすることには苦労も多いだろうと思った。
幸い私が時間もあるので、私が送り迎えをすると申し出た。
私は、彼女が「忘れている」ことは当然なので、事前の4時間位前に電話をして確認することにしたのである。
そうすれば、「約束した」「知らない」の水掛け論はなくなる。
確認して駄目なら、それはもう手の出しようがない。

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そういう形で始まった送迎が、突然、水曜日に「もういい」ということになった。
会長が、その女性と話して、送迎してもらうのは、「一人前」ではないということに気づいたというのだ。

そして、こう言った

私が九〇歳として、運転免許を返すかというと絶対に返さない。
他人に乗せてもらうかというと、それは嫌だ。
そういうのは、人間として「一人前」ではない!

は?

私は多分、超怪訝な顔をしたと思う。

会長は「だから、ららさんも、もう送迎はしなくてもいいよ。来たければ自分で運転してくる」と。

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はあ?

私は違和感をどうしても拭えない。
自動車を運転するというのは、個人の話ではない。
事故は、他人を巻き込む。自動車は凶器である。
永遠に運転できるかというと、今の段階では、あり得ない。(自動運転ができれば可能かもしれない)。

私がモノを考えるときのやり方は「何が一番大事か」である。

私の一番大事は、「稽古を続けること」であって、「一人前かどうか」ではない。
半人前でも、人間でなくても、私は稽古を続けたい。
車を運転して、事故をすれば二度と稽古には来れない。
そう思えば、誰かの車に乗せてもらうことも、送ってもらうことも構わない。
誰かにすがってでも誰かにおんぶしてでも道場に来たい。

だから、私の住居は道場に歩いて行けることが条件である。

運転が「一人前の証」?
会長は何を言っているのだ?

あとで、会長に質問にいった。半分嫌みである。

「先生は何歳まで運転するおつもりですか? 九〇歳までは運転するとしても。」

そう質問した私に、会長はちょっと考えて「一〇〇歳でも」と答えた。

アホかと私は思ったが、黙っていた。

すると、「稽古も一〇〇歳まで続けるよ」とおっしゃったので、私はニッコリ笑って「先生、私たちの手本として必ず一〇〇歳までは続けてください。ついて行きますよ」と言って、その場を去った。

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アホなのである。
一〇〇歳まで運転できると考えるのは、アホだと思う。

というか一〇〇歳を知らない。
私の方が知ってるじゃないか。

稽古は死ぬまでやる。
運転は無理だと思う。
それでいい。
最後は稽古もできず、死ぬ。

何が一番大切か。

運転することは「リスクを上げる」ことになる。
稽古を中断、もしくは辞めることのリスクを上げる。
事故ということがあるからである。
リスクの増大を見ないことは、アホである。

最悪を想定して、最善を期待する。
それが、正しい生き方だ。

稽古を続けられなくなるというリスクは徹底して排除したい。
・・・だから、あのヒトには会えないというのに!!

イライラとしながら、稽古した結果が下。
たまには、オール残念でも良いじゃないか。
そう開き直って過ごした。



どひゃー。
だめだめな稽古でありました。

K会22回め
2018/09/19 五立ちすべて「残念!」でした。

★K会開始前の「小手調べ」では、6本引いて、3中だったんですよっ!
 などと、言い訳したくてたまりません。
 まあ、色々あって、モヤモヤしていたのは事実だし、心の平静はなかったことは認めます。

 それでも、片矢中った小手調べでは、弦が「向こう弦」になったりして弓返りが半端でした。
 それを考えると、実際のK会では、弓返りがだんだん鋭くなっていったので、なんとか。
 胸当てに弦を当ててしまうとか、弓を飛ばすとか、そういう失敗もしました。

 モヤモヤは、会長に直接言い返しましたが、伝わっていないことでしょう。
 (そりゃ、私も大人ですから、変化球を投げるんですよ)。
 頭のいい人しかわからないように・・・というわけで、会長は賢くはないと断定しました。
 賢いことが良いこととは思わないし、賢くないから嫌だということもまったくありません。
 それは個性です。
 私自身が、相手を知って、コミュニケーションするときの注意点とすれば良いのです。
 往々にして(私も含みますが)、年寄りは自分の解釈したいようにしか人の話を聞きません。
 どういう意図で話したかなど、考える時間がないのです。

 それでもいいし、ただ続けるだけですが、逆に「いつでも辞められる」と感じた一日。
2018/09/21(金) 08:44 K会記録 PERMALINK COM(0)
道具続きで。

居合道には、道場名とマークの入った道着がある。
(空手もあるが、試作品で作ったのを創設時にもらってそのまま着ている。背中のロゴが一つ少ないw)

居合は、まあごにょごにょ色々あって、お金をかけずにというポリシーでやっている。
なので、もう六年にもなるし、大会やイベントの裏方をしているような人間なのに、一人だけ剣道着ででている。
去年はそれで参加して優勝したのがちょっと申し訳ないような。

なので、去年から「来年こそは、道着を買います」と宣言していた。

まさか、こんなに高価だとは・・・_| ̄|○
襦袢含めて、上だけの、帯なしで 14,000円弱。(100円ちょっとお釣り)。
えー。
武道具屋のお姉さんは、袴も同時に買えというが、居合道用袴が1万。
そんなお金ありません・・・じゃなかった。袴は黒を二枚持っていますので、結構ですと断る。
(ちなみに弓道用二枚、黒2枚、紺1枚。他にも探せば出てくると思う。)

帯が気になった(今は空手用の帯をしている)ので、お姉さんに聞くと、「先生がそれで良いというなら良いですよ」と。
えー、まじ?
お姉さんはニッコリ笑って「あなたの○○先生は人格者で皆さんが慕ってますから、大丈夫ですよ」と。
ほうほうほう。
なんか、そうかと納得。というわけで、+2,600円(帯代)の出費を回避できたのだった。
とはいえ、今後は居合用帯をチラチラ探そうとは思う。
(空手帯は、細いのでちょっと鞘の固定が悪いのと、帯の締め方がイマイチなので。居合用でなくても細めの角帯か暗い色の半幅を半分に折って使えるはずだ)。

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で、大会には間に合わないと思うと言われていたのに、今日電話があった。

早っ! ありがとうございます!!

対応してくれた店員さんは、「大会がんばってくださいね!」と応援してくれた。

今回は、階級を変えての挑戦である。
以前は「段外」。今回は「初・弐段」。
初・弐段の去年の優勝者は、まだこの階級にいるしw
優勝は無理かもしれないけど、全力を尽くします。
来年も、この階級での参加なので、優勝は来年でOK。
(どうも居合は、年に一度昇段予定のようだw)

まあ、これも修行である。
新しい道着で、背一杯やります。
(^o^)

2018/09/15(土) 22:35 武術(道具) PERMALINK COM(0)
道具の話かな?

師匠から電話で、「見つからないので今回はゴメン。車で来なくていいよ」とのこと。
ふえー。助かった。
明日は自家用車で行くベと思っていたので。

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そもそも種目の看板は良いとしても、自分の看板は道場名ができないと・・・。
師匠と師匠の友人から色々な案がおくられてきたがどれも却下したので、昨日などは静かなモノだ。
週の初めは、電話攻撃、メール攻撃にクタクタになった。

私の名の一部と、「武」を組み合わせるとか、ダサい。(師匠ごめん)
種目名+ららさらーま道場という安易な提案もあったが、それは最終手段としたい。
いざとなったら、らら道場だな。

あ”ー面倒くさい・・・。
私は師匠にも増して、面倒くさがりなのである。
ちなみに、巻物もまったく書いていないw
先生が下さるというのに! わはは。

ああ、面倒くさい。
道場の名前などどうでもいい。
○○支部ではどう? という素っ頓狂な意見がある女性からでたが、何を言うかである。
本部なのである。
支部なら、楽なのである。

私が代表責任者となるのであるからして。
女だから、皆不安に思うのだろうか・・・?

私が一番不安だよっ!

まあいい。
明日考えよう。
今日は何も考えず、ミシンを使って作品作りw
+勉強である。
2018/09/15(土) 14:20 武術(道具) PERMALINK COM(0)
試験問題を回収していたときのことだ。
ある大学でのこと。

「ありがとうございました!」と笑顔で解答用紙を持って来た学生。
「簡単だったでしょ?」とニヤリと笑うと、「ええ、ええ、まあ、いいえ」と相好を崩す。

うん! と頷いて私が用紙を受け取ろうとすると、勘違いしてパッと彼の手が出てきた。
一瞬戸惑う。
握手と思われたらしい。
しかし、私は微塵も動揺を見せず、差し出された彼の手をしっかりと握った。
溌剌として未来へ向かう若者の手は、とても力強かった。

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ある種目の稽古のときのこと。
小学校低学年から中学年までの指導を担当していた。
空手ではない。
空手は、大人の指導もできる(^ー^)。
その種目は稽古が浅いので、そんなもんだw(それも今は月に二回くらいだ)。

ところが、元気な1年生と対照的に、一人の3年生の男の子が奮わない。
小学校入学以前から、彼のことを知ってる。(仮にSくんとしよう)。
Sくんは小柄で、可愛らしい丸顔の男の子。一人っ子で甘えっ子の彼は、子どもたちの間でも、世話を焼いてもらって、楽しく通っていた。

ところが、そんな蜜月はいつまでも続かない。
彼よりも小さい子どもたちが入門し、背はひょろひょろと伸び、「かわいい」という形容詞が難しくなってきた。じゃあ、真面目に取り組むかというと、甘えたい気持ちがいつまでたっても抜けない。
構って欲しいのか、防具もつけずにぼんやりと手助けを待っている。
こちらから声を掛けない限り、子どもの稽古に入らずぼんやりと壁に立っている。

「やろう!」と声を掛けて、小さい子たちの稽古に入れる。
Sくんが一番できない。何も聞いていないのだ。
口で言ってわからないことは、手で直すしかない。
「重心がこっちだからね、こっち」と触れるとビクッと反応する。

え?

触れた私の手に対する彼の反応の異常さに、私は怯む。
触れてはいけないのだろうか。
触れようとする手に、一瞬ビクッと反応して「嫌だ」という風に押し返すというか、寄りかかってくる。
え? これはどういうこと?
手を離そうとすると、その手を追いかけてくる意識がある。

頭の反応ではない。
何かなあ。

これは。

触れられることに飢えた身体だ。
そして、触れられることに怯える身体だ。

それに気づいてから、より丁寧により優しく心を込めて・・・しかし、毅然と触れる。

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いつまで経っても、Sくんは言われたことができない。
就学前の子どもたちのほうが上手である。

「今できなくてもいいから、チャレンジだよ」

「やろうとしてごらん? むずかしくないよ」

Sくんだけにいつまでも関わるわけにいかず、手を離して、全体に声を掛ける。
Sくんに届け! と願っている。

しかし、Sくんは、ふてくされて真面目にやらない。
休憩時間に、彼を呼んで少しだけ話をした。

小学校3年生だったら、今、ここに何しに来てるかわかるよね。
お稽古するために来てるんだよね。
じゃあ、稽古しようよ。

ふてくされたままで、Sくんは聞いていた。
稽古のときに触れてから、もう触れていない。
拒絶と渇望の間で、彼の身体が揺れていたのを知ってるから。

まあいいや。
たまに関わる私では、ここまで。

そう思って稽古が終わった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出張のお土産のお菓子を子どもたちに配る。
皆「ありがとうございます!」と元気よく礼を言う。
Sくんは、手だけを出して口をつぐんでいる。
指導の先生が「ちゃんとお礼をしなさい!」と叱るのを「まあまあ。いいよね。口にでないだけだもんな」とちょいと頭を撫でる。
Sくんは、おまんじゅうを両手で押し頂いた。

掃除を済ませたころ、そっとSくんが近づいてきた。
親に何か言われたかなと思うが、迎えはまだ来ていない。
指導の先生は、他の保護者と打ち合わせ中だ。

どうしたん? と促すと「さっきは、ありがとうって、言えなくて、本当に、ごめんなさい」。
とぎれとぎれの言葉が出てきた。
俯いたまま。

いいんだよー。わかってるってー。
大丈夫だよ。口にできないときもあるもんね。いいよー。
わざわざ、言いに来たんだー。すごいね。偉いね。

そう褒めると、Sくんの両目からボトボトと涙が。
さめざめと泣いている。

ど、どうしたん? おばちゃん、怒ってないよ。Sくんがわざわざお礼を言いに来てくれてすっごく嬉しいよ。

うん。と頷いたSくんはまだ泣いている。

今日、おばちゃんが怒ったこと、気にしてるかな? Sくんが「らら先生なんか来なければいいのに」って思うんだったら、もうおばちゃん来れないなあ・・・。

と言いかけると、ブンブンと首を横に振った。

また、来てもいいかい? と問うとブンブンが、縦になった。

じゃあ、一緒にけいこしような! また!

ブンブンと首を縦に振る。

よしよし。また頭を撫でると、涙がこぼれるのが見えた。

本当は抱きしめたい。どれだけこの子は人との関わりに飢えているのだろうか。
でも、依存はさせたくない。最小限に触れることを自分に課す。

よし。じゃあ、次はもっと稽古しような! 約束やん! 握手だー!
私が両手で彼の手を握って振ると、弱々しいが確かに握り返して来た。
触れる手と、触れられる手の、交流の一瞬。
私はこのSくんの握手を、きっと忘れない。

大丈夫!

そして、後ろを向かせて、ぽんと薄い背中を軽く押す。
大丈夫。
君は変われる。
歩け!!! 自分の力で、歩け!!!
後ろから念じる。


Sくんは、振り返らず帰って行った。


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月に一、二度の関わりに何ができるだろうと思う。
でも、触れることの大切さと、恐ろしさを感じる。
人間は人の間で育つ。
人間は、人に触れられて育つ。
武術は、その根源に触れる。

だから、私は武道武術に固執するのかもしれない。
触れること。触れられること。

子どもたちに、幸あれ。



駄目だわ。_| ̄|○

21回目 
9月12日(水曜日)
          一立ちめ ×  ×
          二立ちめ ×  ×
          三立ちめ ×  ×
          四立ちめ ○  △
          五立ちめ ×  ×
          六立ちめ ×  ×      
          七立ちめ △  ×

 ★直前まで稽古しているときは、半矢だったのである。
  それも16キロを引いたりして遊びながら・・・である。
  
  四立ち目当たったのを見て、会長が「弓返りが半端!」と。
  向こう弦になってた。会長は向こう弦が大嫌いである。  
  鋭い離れにならない(=弓返りが鈍い)のは、緩むからだと指摘。
  なるほど、緩まないように弓手の手の内を気をつけると、弓返りが鋭くなった。
  が! 中らない。
  手の内に気を取られているのだ(文字通り)。

  なかなか課題の多いことである。

  さて。来週こそは!!
 
2018/09/12(水) 21:14 K会記録 PERMALINK COM(0)